はじめに
かねてよりお詣りしたかった #上賀茂神社(#賀茂別雷神社)の境外摂社 #大田神社(恩多社)。境内末社四社はいずれも上賀茂社の境外末社格。古い #道祖神 の社から京の皇族や貴族の保護のもと発展した古社であることがうかがえます #大田神 #猿田彦神 #船玉神 #福徳神
目次
本文
【行き方】 京都市北区上賀茂本山340(地下鉄「北山」駅下車・タクシー約5分、市バス「上賀茂神社前」下車、徒歩約10分)
京都下鴨デルタ(賀茂川と高野川の合流点)から、賀茂川に沿う加茂街道を北西に進むと上賀茂神社(賀茂別雷神社)。バス停で下りて東に徒歩10分ぐらい、本山のふもとの大田神社(おおたじんじゃ)。
先日紹介した深泥池は、大田神社から東へ徒歩10分ぐらい。
地勢的に深泥池とも関係する『大田の澤 かきつばた群落』が境内地に保存されており、天然記念物として有名です。
大田神社の案内板には、天皇家や京都の貴族の信仰を源泉に、古社として権威づけがなされていった過程が書かれていて、勉強になります。
古い案内板、要約)大田神は一に 恩多神 といい、天鈿女命を祀る賀茂最古の神社 で、古来、長寿福徳の神としての信仰がある。賀茂別雷神社の御鎮座以来、摂社として尊信を捧げている延喜式内の古社である。保安元年二月二十六日、鳥羽天皇の本宮御幸の際、始めて官幣に預り、その後度々、この事が行われた。近世以降、宮家らの信仰篤く、眷護成(げんごなり) という御神の眷属となって寿命長久を願う儀式が行われる。大田神に、猿田彦神(道路安全の神)、船玉神(航海漁労守護の神、岐神*1、道祖神) を加えた三柱に、末社・福徳神 を加え、いずれも福神としての高い御神徳を有しています。以上四柱の神を以て大田神社が形づくられています。
大田神社 境内
境内の白髭神社(しらひげじんじゃ)、百大夫社(ひゃくたいふしゃ)、鎮守社、福徳神は、いずれも上賀茂神社の境外末社の格です。
拝殿(北)から見て左に白髭神社(猿田彦神)、右に手前から百大夫社(ひゃくたいふしゃ、船玉神)、鎮守社(大国主神、少彦名神)。
大田神社にお詣りした理由のひとつが末社・福徳神。境内のどこにも見当たらないので焦りましたが、鳥居をくぐる前の参道に鎮座していたのをはじめに見落としていました。
御祭神は福徳神。案内パネルには足腰の神様と書かれています。
本殿奥の大田の小径(こみち)。少し進んだところにあった謎の石碑は道祖神でしょうか。案内板もなく文字が刻んであるように見えますがわかりません。
塚のような盛り上がりの所ですが、御幣がかけられているので墓ではありません。
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当ブログ(アラハバキ信仰)やアラハバキ解をご覧いただいておられたらピンと来られるかも知れませんが、サルタヒコ(男性神、本来出雲の神の一柱)に男女一対で対応するのがアメノウズメ(女性神、奈良~平安時代に夫婦神とされた)。
サルタヒコは古くは男性シンボルを像容とする道祖神。境界(際)の道に立ち、災(疫病や悪事)が入って来るのを防ぎ(塞)、幸(豊穣や子孫繁栄、善事)を受け入れる神格。このことから、サイノカミ信仰と関連し、道中安全の神として、また後に、足腰(下の病)の神として崇められるようになりました。
福徳神の実態は不明ですが、縄文以来のアラハバキ信仰的な解釈を進めると、サルタヒコ(男性)神と同一、もしくは、平安時代に派生した神格で、像容は男性シンボル的なものと推理しています。
【参考】福徳神について
【アラハバキ解・34章)京都・幸神社】古い道祖神としてのサルタヒコ信仰
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る|35)アラハバキ解(5)福禄寿に書き換えられた猿田彦神|NOVEL DAYS
【アラハバキ解・36章)京都・清荒神】福徳恵美須神(もともと禁裏*2に奉安されていた)
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る|36)平安京を守り皇室の繁栄を守護する決意の印|NOVEL DAYS