ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

にほんブログ村・ポチっとお願い PVアクセスランキング にほんブログ村

【出雲路幸神社】出雲文化の色濃い下鴨に残された新・旧サルタヒコ信仰 習合の姿

はじめに

出雲の地名が残る京都 #下鴨デルタ。#幸神社では 平安時代を挟んで新旧の #サルタヒコ信仰(#サイノカミ信仰)をまとめて見ることができます。#道祖神 の立石と #神猿(#三番叟)となった #猿田彦 の姿

目次

本文

出雲路幸神社(京都市上京区神町303寺町通今出川上ル西入ル)

「いずもじ・さいじんじゃ」あるいは「いずもじ・さいのかみやしろ」と読みます。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210318102217j:plain出雲路幸神社

主祭神猿田彦大神

相殿神天之御中主神天照大神瓊瓊杵尊少彦名神、可美葦井彦舅尊、大国主命事代主命、天鈿女命

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210408030713j:plain
京都市考古資料館 古代豪族の勢力より

御由緒の文字起こしは記事末。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210407174947j:plainf:id:Kaimotu_Hatuji:20210318102146j:plain
出雲路幸神社

平安時代に、道祖神塞の神、サイノカミ)の猿田彦(サルタヒコ)神は、天台宗山王信仰、日枝信仰)の神猿(まさる)と習合しました。

本殿の東北角に烏帽子(えぼし)をかぶり、御幣を担いだ神猿像が安置されています(撮影せず)

神猿は、夜な夜な、うろつきイタズラをすると信じられているため、逃げ出さないように本殿に網がかけられています。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210318132131j:plain
幸神社 拝殿

烏帽子をかぶった猿は「三番叟、さんばそう」。

烏帽子は猿田彦の立石(道祖神)をあらわします(下・石神さん参照)

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210318102238j:plain
幸神社 三番叟 絵馬

京都御所 猿が辻 神猿像

幸神社から徒歩10分の京都御所の表鬼門・東北の隅の猿が辻。表鬼門の隅から内裏に疫神、悪鬼、邪気が侵入しないよう、猿が辻は隅がない造り。

屋根裏に幸神社に対応する神猿像が安置されています。幸神社の本殿と同じ理由で、神猿が逃げ出さないように金網が張られています。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210407180149j:plainf:id:Kaimotu_Hatuji:20210407180214j:plain
京都御所 猿が辻 神猿像

石神さん(おせきさん)

幸神社に戻ります。

境内の東北隅に石神(いしがみ)さん。これが本来の猿田彦、立石道祖神の姿です。

立石は男性シンボル・陽石の塞。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20210318102029j:plainf:id:Kaimotu_Hatuji:20210318102046j:plain
出雲路幸神社

本来、女性シンボル・陰石の幸と結びついて、トータルで男女一対の(出雲の)サイノカミ信仰ですが。

平安時代に(女性の)幸の神は天鈿女命と入れ替えられ、サルタヒコはアメノウズメと夫婦神ということになりました。

先日紹介した三重県鈴鹿市椿大神社・椿岸神社では、社の造りや御祭神の位置づけから夫婦神であることが強調されていますが、

出雲文化が色濃く残った下鴨デルタの幸神社では、道祖伸のサルタヒコ信仰の姿が、石神さん(おせきさんとも称します)としても残されています。

このあたりのもう少し詳しく(幸神社)は、ノベルデイズで書いているノンフィクション「アラハバキ解・第33~34章」で紹介しています。

www.zero-position.com

www.zero-position.com

御由緒(文字起こし)

日本最古の縁結びの神として知られる当社の祭祀は、遠く神代に始まり天武天皇の白鳳元年(661)に御再興され、平安京創建時(794)桓武天皇により、皇都の東北の鬼門除け守護神として御造営されました。平安京造営時には社名を「出雲路道祖神」と云い江戸時代の初め現在地に御遷座された際「幸神社」と改められました。主祭神に祀られる猿田彦大神は、当社に伝わる道祖神信仰と習合せられ、古くより霊験あらたかな縁結びの神として崇められています。そして、相殿神に祀られる天鈿女命は、神代随一の踊り手で芸能の始祖として知られ、また歌舞伎の創始者である出雲の阿国(いずものおくに)が当社の稚児、巫女として仕えた故事により、芸能上達を願う人々の崇敬を集めています。本殿東側の壁に祀る三番叟(御幣を担ぐ猿の神像)は、御所内裏の東北隅の猿が辻に祀られる猿の神像とともに皇都を護っています。表鬼門である東北の空を雲上にて眺望し、疫神、悪鬼、邪気等の侵入を防ぐ姿を顕しています。御神徳、縁結び・芸能上達・鬼門除け・旅行安全

PVアクセスランキング にほんブログ村ポチっとお願い

アラハバキ解 第39章公開 ヒスイのものづくり史(3)見えてくる弥生稲作・太陽祭祀の東遷

キーワード;玉作の産地と消費の動き、弥生稲作文化の広がり、太陽祭祀の東遷

novel.daysneo.com