はじめに
福井市内の #足羽山に鎮座する式内社 #足羽神社(あすわじんじゃ)。昨年秋、紅葉には少し早い頃に参拝。第26代天皇としてヤマトに出立する決意をした #男大迹王(ヲホド王)#継体天皇。自らの霊を鎮め #大宮地之霊(#座摩神)とともに故郷を守護しました #三光紋(太陽と月と星、道しるべ)
目次
- 足羽神社(福井市足羽上町108)
- 足羽山山頂 男大迹王が見つめる先に越前平野(足羽神社御由緒)
- 足羽神社 御神紋と境内
- アラハバキ解 第39章公開 ヒスイのものづくり史(3)見えてくる弥生稲作・太陽祭祀の東遷
本文
御祭神:継体天皇、大宮地之霊五座(生井神(いくい)、福井神(ふくい)、綱長井神(つながい)、阿須波神(あすは)、波比岐神(はひき))
足羽山山頂 男大迹王が見つめる先に越前平野(足羽神社御由緒)
第25代武烈天皇が崩御し、後継ぎがおらず、大伴金村(おおとものかねむら)・物部麁鹿火(もののべのあらかひ)が相談し、何度も天皇として迎えに上がった結果、ようやく第26代天皇に即位した男大迹王(おおとののきみ、をほどのおおきみ)。時に57才。後の継体天皇です。
男大迹王が若きころの越前の国は、ほとんど沼地で人が住む土地も少なかったのですが「ここ足羽山に社殿を建て、大宮地之霊を祀り、地の理を調べ、現在の九頭竜・足羽・日野の三大川をつくり、三国に水門を開き、潟の水を海に流して越前平野を創った」と伝えられます。
これにより「農業が盛んになり、川を利用した水運がおこり、道をつくり人々の住居を定め、耕種、養蚕、採石、製紙、その他諸産業興隆させた」としてすでに越前開闢(かいびゃく)の御祖神(みおやのかみ)として崇められていました。
越前を離れるにあたり、始まりのこの地を想い、後に残す人々のことを心配して、「末永くこの国の守神になろうと自らの御生霊をこの宮に鎮め、御子・来田皇女を斎主として都に出立」しました。
皇女は天皇の魂と大宮地之霊を守り、阿須波の神名により足羽宮 としました。
「福井、足羽郡、足羽川等の名も御神名に起縁しています」と由緒に書かれています。
足羽神社 御神紋と境内
足羽神社HPより)足羽神社の御神紋は「三光(さんこう)の紋」といい、これは非常に珍しい紋章で、「日(太陽)」と「月」と「星」を組み合わせ「○」で囲んで標されています。昼と夜に全ての物を照らし、命と力を与える太陽と月。夜でも方角の導きとなり、その不動の輝きから天皇を象徴する星(北極星)。第14代仲哀天皇の皇后、神功皇后の三韓攻略の御旗に描かれた紋にちなんでいるともいわれています。継体天皇も朝鮮半島の任那(みまな)の援軍派遣に際し、同じ紋章を使っていたということでしょうか。
大宮地之霊は、ふるくは座摩神(ざましん)といい、朝廷宮中の守護神でもあり、平安京の神祇官西院(じんぎかんさいいん、今で言うと神社省というほどの公的組織)においても祀られていた格式の高い五柱です。中世には、一般庶民の 庭の神・家の神としても祀られるようになりました。
足羽神社では、①生井神(いくい)・福井神(ふくい)・綱長井神(つながい)を井戸の神、水の神、②阿須波神(あすは)を足場の神、旅行・交通守神、工事安全守神、③波比岐神(はひき)を門の神、人の出入りを守護、災難除け守神、と解説しています。
アラハバキ解 第39章公開 ヒスイのものづくり史(3)見えてくる弥生稲作・太陽祭祀の東遷
キーワード;玉作の産地と消費の動き、弥生稲作文化の広がり、太陽祭祀の東遷