ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

継体大王(ヲホド王)・考

はじめに

ヲホド王(男大迹王)と称された #継体天皇。子孫を多く残した人で、第27代 #安閑天皇、第28代 #宣化天皇、第29代 #欽明天皇 のお父上。#聖徳太子 は欽明大王の孫ですから、継体天皇は太子の曽祖父になります

目次

本文

滋賀県高島市安曇川、あどがわ)

滋賀県高島市に行ってきました(大阪駅から湖西線・新快速で安曇川駅まで直通で約1時間)

衛星マップでみると、琵琶湖北西部に注ぐ安曇川(あどがわ)の沖積平野が琵琶湖の方に広がって発展したことがわかります。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20201103194443p:plain
滋賀県高島市 琵琶湖北西部 安曇川沖積平野

たいへん惹かれるところで、日本海と京都・奈良・大阪をつなぐメインルートで、中でも安曇川流域の高島市エリアは、かなりふるい時代から、交易・交流の一大拠点として発展したことがうかがえます。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20201103220715j:plainf:id:Kaimotu_Hatuji:20201103220654j:plain
近江高島駅 駅前のガリバー像 特急サンダーバード(大阪-金沢-和倉温泉能登半島))

第26代継体大王(ヲホド王)

特に、福井県とともに、第26代継体大王のゆかりの地(現在の高島市安曇川町三尾里あたりで誕生したと伝えられる)で、関連する史跡が多く残されています。

「えな」とは「胞衣」と書き、出産時の胎盤やへその緒のこと。昔は土に埋め、出生を祝うスタイルがありました。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20201103222316j:plain

ヲホド王(男大迹王)と称された継体大王は、クニの開発と水運に才覚を発揮したビジネスマンで、本来は成功した一大豪族の長として人生を終えるはずでした。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20201103195943j:plain
福井県福井市 足羽山 継体大王像(去年に続き今年も行ってきました)

しかし子どもを残さなかった第25代武烈大王の後継として、中央から、いわば緊急登板を要請され、日本の皇統を(かろうじて)つないだ異色の人で、ゆえに、大王(天皇)に即位したのは58才でした。

継体大王の名をさらに高めたのは、治世の当時、ヤマト王権に対抗して、新羅(しらぎ、半島の国)と密約の上、九州勢力が起こした大規模な『磐井(いわい)の乱、527年』を苦労の末、平定したことです。

www.zero-position.com

安閑・宣化・欽明 三人の大王のお父上

子孫をたくさん残した大王でもあり、第27代安閑大王(母上は尾張目子媛)、第28代宣化大王(同・尾張目子媛)、そして、第29代欽明大王(同・手白香皇女)のお父上でもあります。

父親が高齢で即位したため、若いころの二人の息子、安閑大王(466年生まれ)・宣化大王(467年生まれ)の治世は短く、

二人を継いだ欽明大王(509年生まれ)が約30年にわたって基盤を築き、その後の飛鳥時代(前半)の主役級を子孫として残します。

実は私はこのあたりの経緯(二代の治世の短さ)について、はなはだ疑問(不審)に思うところがあり、その点は、機会をつくって少しずつ紹介してゆきたいと思います。

継体大王と聖徳太子

あまり広く認識されていませんが、継体大王は聖徳太子の曽祖父(ひいおじいさん)ということになります。

f:id:Kaimotu_Hatuji:20201103203001p:plain
欽明系図

聖徳太子は、曽祖父を厚く崇敬し、例えば、新しいクニ造りや水運を活用した国際交易・交流において、おおいに参考にしたのではないかと考えています。

ミッシングリンク(失われた輪)

継体大王の事跡は、越前福井~高島市~淀川流域(樟葉宮、筒城宮、弟国宮、三嶋藍野陵 or 今城塚古墳)と続きますが、

ここから磐余玉穂宮(いわれたまほのみや、奈良県桜井市)、曽我遺跡(同橿原市)など、いきなりヤマトに飛びます。

順番では、私の地元、上町半島(上町台地)に、継体大王にかかわる史跡のひとつでも残っていそうなものですが、、、。

可能性として、継体大王は水運の人ですから、現在の大阪湾岸(住吉を含む)をトバシテ、大阪と和歌山県境・紀の川を遡上して御所(奈良県)から入るルートが考えられます。

実際、飛鳥時代には、このルートを通じて、六甲山系の巨石(花崗岩)が、京(みやこ)に運びこまれました(益田の岩舟など)

でも、それにしてもです。古代日本でもトップクラスの良港であった住吉を、継体大王が利用しなかったはずはありません。

本当に、この点は謎です。

その代わりに、といえるかどうかわかりませんが、継体大王の子孫たちがひらいた飛鳥時代の史跡は、四天王寺をはじめ、上町台地にはたくさんあります。(蘇我氏はゼロですが。)

f:id:Kaimotu_Hatuji:20201104061216j:plain
飛鳥と磯長谷と古代上町半島

高島市はしばらく通おうと考えています。当ブログでは、折を見て(不定期に)継体大王の足跡を紹介してゆきたいと考えています。

ブログランキング・にほんブログ村へポチっとお願い