ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【鴨稲荷山古墳】復元された古代首長のキラキラ豪華装飾品(冠・沓・耳飾り)【高島歴史民俗資料館(1)】

はじめに

滋賀県高島市 #鴨川 が流れる天皇橋のそばに #鴨稲荷山古墳。金銅製のキラキラ輝く冠、沓、耳飾りなどで飾られた被葬者の様子から、#継体天皇 と深い関わりのある首長・皇子クラスの墓と推定されます。#高島歴史民族資料館

目次

本文

滋賀県高島市といえば、安曇川(あどがわ)が知られていますが、市内南側を鴨川(かもがわ)が流れ、琵琶湖に注いでいます。

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滋賀県高島市 鴨川 天皇橋付近

鴨稲荷山古墳(かもいなりやまこふん)

その鴨川にかかる天皇橋(県道23号線、小浜朽木高島線)の近くに、鴨稲荷山古墳があります。

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鴨稲荷山古墳(滋賀県高島市鴨)茶色の小屋に石棺

鴨稲荷山古墳は、6世紀前半の築造の前方後円墳(墳長45m、周壕含めて約60m)で、その築造年代から『被葬者は継体大王と深い関わりを持ち、当時の高島を治めていた首長であろうと考えられる(高島歴史民俗資料館の解説より)』とのことです。(継体大王の治世:507-531年)

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鴨稲荷山古墳 説明板と発掘時期の石棺(資料館写真)

文字起こし)・・・後円部に横穴式石室を持つ前方後円墳で、発見当時は長さ9m、幅・高さともに1.8mの石室があったとされ、内部には凝灰岩質*1の刳り抜き式石棺が納められていた。棺内からは金銅製の冠(かんむり)や沓(くつ)などの装飾品や馬具類などが、棺外からは須恵器類などの豊富な副葬品が出土しており、古墳の作られた時期は6世紀前半と位置付けられている。また、この付近は古代の三尾郷に想定され、石棺や副葬品の状況などから、継体天皇に二人の后を嫁がした三尾氏に関係する古墳の可能性が高いとされ、滋賀県を代表する古墳のひとつとして注目されている。

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鴨稲荷山古墳 石棺(小屋のガラス越しに撮影)

高島歴史民俗資料館

古墳の近くに高島歴史民俗資料館。入場無料。(コロナ対応で一人見学時間が30分以内の制限あり)

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高島歴史民俗資料館

豊富な展示量で、資料館の目玉はいくつかありますが、中でも目を引くのは鴨稲荷山古墳の謎の被葬者が身につけていた装飾品(復元品)です。

内側が鮮やかな朱塗りで復元されている点にも注目です。

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金銅製 冠(こんどうせい・かんむり)復元品

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金銅装 飾靴(こんどうせい・しょくか)復元品

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左)冠の説明と垂飾付耳飾 右)埋葬者が着用していた装飾品の一覧

環の中に向かいあう鳳凰をデザインした金銅製の柄頭(つかがしら)は、現在、東京国立博物館が所蔵しています。

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金銅製 双鳳環頭太刀 柄頭(こんどうせい・そうほうかんとうたち・つかがしら)拡大写真

古代人のヘアスタイル、美豆良(みずら)飾りと考えられる半筒形の飾具(かざりぐ)は、琵琶湖対岸・近江八幡市安土城考古博物館が所蔵しています。

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金銅製 半筒形 飾具(こんどうせい・はんとうけい・かざりぐ)写真

この時代の古墳で、埴輪らしきものがなかったのが、むしろ、ひとつの特徴でしょうか。

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鴨稲荷山古墳出土品(土器破片、馬具)

金銅製の冠(かんむり)、沓(くつ)、馬具のセットといえば、藤ノ木古墳奈良県生駒郡斑鳩町)の国宝が有名ですが、ほぼ、それに相当する時代・様式のものが、鴨稲荷山古墳から出土していたことに驚きました(勉強不足で知りませんでした)

藤ノ木は、先日まで当ブログで紹介していた出羽三山の開祖・蜂子皇子のお父上で、悲劇の第32代崇峻天皇が埋葬(改葬、合葬)された可能性の高い古墳。現段階では、あくまで「うすい点線」ではありますが、まさか、ここでつながりを考える要素が出てくるとは。

ちなみに崇峻大王は、継体大王(第26代)から数えて、孫世代にあたる飛鳥時代の大王(天皇)のひとり。

(長くなりますので、詳しくは書きませんが)それにしても『鴨』。高島市にこれほどの『鴨』のこん跡。

鴨は出雲と深く関係します。全国をくまなく調べたわけではありませんが「カモ、カモゥ」の地名は、出雲族都市国家)のこん跡と考えて訪問します(加茂、賀茂)

そして安曇。安曇川(あどがわ、高島市)や安曇野(あづみの、長野県・諏訪大社・下社二社)も、元をたどれば出雲(特に海人)系と考えられます。

さらに昨日紹介した神代文字、関連する伝承。。。

腰を据えて、湖西・高島市をリサーチ&古代妄想したくなっています。

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