ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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平安京の王城守護 都市斎場から鬼門へ

はじめに

日本オリジナルの #鬼門 の考え方。平安京創都のころはまだそのような考え方はなく、東西南北に広がる都を #四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)と四角の #都市斎場 で守るという考え方でした #慈覚大師円仁 #猿田彦 #神猿

目次

本文

王城守護・鬼門のコンセプト

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北東(丑虎)の方向が 鬼門 というのは、日本オリジナルのコンセプトで、平安京に都が遷って、しばらくしてからの話。

都の東北、天台宗比叡山延暦寺が、その存在価値を高めるために、天文方位学の中に、王城守護の鬼門の考え方を導いたのが始まりです。

恐山を開いたり、遠野七観音を置いたりした、稀代のアイデアマン、慈覚大師・円仁(第三代座主、794~864)が始めたものと考えています。(昨秋の東北行きは、慈覚大師の足取りを追うのも目的のひとつでした。)

アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る|33)慈覚大師・円仁の平安京結界|NOVEL DAYS

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平安京結界の神猿 左)京都御所・猿ヶ辻、右)赤山禅院(以前、本堂の上に置かれていた神猿)

四角を守る都市斎場

先日紹介した、山田邦和氏の「京都都市史の研究」の初期平安京の地図には、都の四角に 都市斎場 があったことが描かれています。

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平安京創都のころには鬼門という考え方がなく、四神相応の地でも十分に守り切れない、四角を守るという考え方があったことの証です。

(四神相応の地:四方を司る「四神」の存在に最もふさわしいとされた地勢や地相。平安京は四神相応の地として都に選ばれた。東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武。さて京都の場合、どこでしょうね?)

現在の北野天満宮あたり(指さし)は、そのうちの北西角を守る都市斎場があったところです。

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山田邦和氏の「京都都市史の研究」より。初期平安京。四角に『都市斎場』

ちなみに、右上、東北角の都市斎場は鴨川デルタの西で、当ブログで紹介した幸乃神社(さいのかみやしろ、出雲路幸神社、上京区神町)が鎮座していたあたりです(どこかの時代で現在地に遷座した模様)

猿田彦神と神猿(まさる)

サルタヒコ神が、天台の慈覚大師・円仁によって、猿に変えられたこの場所で、サルタヒコ神と神猿(まさる)がいっしょに都のサイ(際)、東北鬼門を 見張って います。

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前回記事では、見つけられずに紹介できなかった、幸乃神社(上京区神町) 御本殿裏に居て、平安京の結界線、東北鬼門を見張る神猿。

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幸乃神社(上京区神町) 御本殿裏 東北鬼門を守る神猿

日本書紀天孫降臨神話)で『鼻の長さは七咫(ななあた)、背の長さは七尺(ななさか)』と書かれた猿田彦神は、猿とはかけ離れた姿をしています。

出雲伝承(富家伝承)、斎木雲州氏)では、サルタ(ヒコ)は、クナト王(とサイ姫)が率いる出雲族の故郷・古代インド王国から連れてきた『象』を神格化(ガネーシャ神か)したものと紹介されています(北方ルートで渡来)

本来、猿田彦神は鼻高神であり、ゆえに天狗のモデルになりました。

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椿大神社 猿田彦大神

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