御祭神、ご由緒(文字起こし)
御祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)日本医薬の祖神、神農炎帝(しんのうえんてい)中国医薬の祖神
大阪道修町(どしょうまち)は、豊臣時代頃から薬種取引の場として、薬種業者が集まるようになっていました。
江戸時代になると、幕府は道修町の薬種屋124軒を株仲間として、唐薬種や和薬種の適正検査をし、全国へ売りさばく特権を与えました。薬は、人命に関わるものであり、その吟味は大変難しいものがあります。 そこで、神のご加護によって職務を正しく遂行しようと、安永9(1780)年京都の五條天神より少彦名命を仲間の寄合所にお招きし、神農炎帝王とともにお祀りしたのが始まりです。
寄合所内に祀られていた御祭神を、明治3年(1910)に社殿を新築し、少彦名神社として正遷宮した後、別所家が代々の宮司を務めている。
神農祭・張子の虎(神虎)
文政5年(1822)大坂でコレラが大流行(日本で最初のパンデミック)した時、道修町の薬種屋の仲間が、疫病除けとして丸薬『虎頭殺鬼雄黄園(ことうさっきうおうえん)』をつくり、また、神虎のお守りをつくって、配ったのが始まりだそうだ。
毎年11月23日、24日に斎行される神農祭(じんのうさい)では、五葉笹に神虎のお守りを付けたものを『家内安全無病息災』の御守として授与する。
桃花祭(雛祭り)
神社の公式ページ・年中祭儀に記載されていないが、例年、桃の節句(3月3日)までの1週間ほど、周辺の船場(せんば)界隈の旧商家が所蔵するひな壇を展示するイベントが開催されていて、少彦名神社も展示会場のひとつ。
大阪船場で道具商を営む斎藤家の次女・キクが別所家(現在の少彦名神社の宮司家)に嫁ぐ際に嫁入り道具として持参したとされるおひな様。
別所家は、江戸時代から薬種仲買仲間会所(寄合所)の書記を務める家柄だったそうだ。
イベント期間中は、桃花祭限定の御朱印が配布される(有料)
先日紹介した、御祭神が同じく少彦名命の加太淡嶋神社(和歌山市)は、3月3日のひな流し神事が有名。
雛祭りがいつ頃、始まったのかはよくわかっていないが、平安時代には行われていた『流しびな』の風習とひな流し神事が似ていることから、淡嶋神社や少彦名命との関係が考えられる。
詳しくは聞いていないが、少彦名神社で桃花祭が行われているのには、そのような背景があるのかも知れない。
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絵馬には薬学部への合格祈願が多く見られた。
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複数会場で展示されていたおひな様のひとつ。(残念ながら、撮影禁止のところも多かった)