はじめに
日本で初めて仏教・道教・神道の習合を試みたのが #聖徳太子。シンボルは #転法輪。その八方全方位をあらわすデザインは、#陰陽道 の発展とともに、平安京の交通安全・道中無事のおまじない #九曜紋 に引き継がれた?
目次
本文
先日の記事で、平安京の四角を守る都市斎場について紹介しました。
平安京の九曜紋
ご存知の通り、平安京は、中国の風水・四神相応(東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武)の思想に基づき、古代豪族・秦氏が開拓した土地に拓かれました(794年)
説は多様ですが、青龍は鴨川、白虎は桂川・山陰道、朱雀は伏見・巨椋池(おぐらいけ、今は埋め立てられてありません)、玄武は鞍馬街道・鞍馬山方面(ただし玄武神社が鎮座する船岡山説が有力)ではないかと考えています。
しかし、東西南北は良しとして、北西・北東・南東・南西に四隅が隙間と考えられ、そこから魔が差す、つまり、鬼神や厄などの災いがやって来ることから防御する目的で、都市斎場が設けられました。(北西は現在の北野天満宮、北西は幸乃神社)
つまり、九曜紋は、中央の内裏(御所)を東西南北の四神、四角の斎場が、八方守護するデザインと考えることができます。
ゆえに、前回紹介した『平安京では「道途の安全の守護」の「おまじない」として、公家の輿車・牛車に描かれた紋』という話に繋がります。
交通安全のおまじないの考え方は、明らかに、日本古来の「サイノカミ信仰・道祖神」の影響と考えられます。(災い・厄を塞ぎ(サイ)、幸を受け入れる(サイ)。見張るのはサルタヒコ。)
聖徳太子の転法輪
聖徳太子から仏教(釈迦の初転法輪)、古神道(東西の太陽祭祀、月の祭祀も深く関係する)、道教(北辰北斗哲学・思想)を習合する試みが始まり、さらに、密教が得意とする天文・方位易学が融合して陰陽道として発展してゆく中で、このような習合が起きたものと考えられます。
いや、このような習合の試みが、陰陽道という日本オリジナルの思想哲学を発展させたと言えるかも知れません。
九曜の紋ひとつから、いろいろな歴史の流れが見えてきます。
方位神のベースとなる方位の考え方
図は、南北・東西とも逆転している点に注意してください。上側が南、右が東になっています。