はじめに
誰でも一度は見たことがある #九曜紋。#平安京 の #交通安全・厄除け紋として輿車や牛車に描かれ、その後、戦国時代には武家の家紋として使われるようになりました。#九曜曼陀羅 #本地垂迹
目次
本文
ご連絡
数えれば記事の数も870になんなんとし、いつの頃からか、天文気象の話も多く、こたび、新カテゴリーで『天文学と古代』を作り申し候。
・・・まだまだ武士言葉のマイブームが続いてござる。
過日、拙者のノド痛・タン・在宅勤務につき、一部の方にご心配をお掛けしたこと、誠にカタジケのうござる。後に抗原検査なるものを行い、陰性でござったことをご報告申し上げまする。冷えによる少々風邪症状のようで、原因は、あの南蛮のかき氷かと存じ上げる。
ノド痛以降、どこに早駆け(電話)しても、いずれもお取込み中で、かのドン・キホーテ公のごとく跳ね返され続けた無駄な時間を振り返れば、今は、はやり病に罹らぬが吉 とこころえ、この週末は閉門蟄居してござる。皆々様もくれぐれもお気をつけ下さいますよう、お願い申し上げ奉る。
九曜紋と転法輪
さて、本日のお題は、九曜紋(くようもん)でござるです。
どこかでご覧になった方も多いと思います。
もともとは、平安時代の妙見信仰に発する厄除けの御紋であったものが、戦国時代に武家の家紋として広がりました。
関ヶ原の戦いでは、東軍・細川家の旗印としてはためきました。
*****
ちょうど三つ巴紋が、寺社仏閣の水難除けや火災除けに使われていた(軒先の瓦のデザインなど)のが、八幡信仰とともに武家の家紋として採用されたのと同じ経緯です。
*****
あくまでも個人的な見解ですが、この九曜紋のデザインは、聖徳太子仏教のシンボル、飛鳥時代の転法輪が、元になっていると考えています。
(釈迦の教えである初転法輪に基づく→太子の神仏習合による新しいクニの統治思想→北辰北斗・妙見信仰)
九曜紋の天動説と地動説
九曜紋は、表題の通り、日・月・火・水・木・金・土・羅睺(らご)・計都(けいと)の『九つの星』をあらわします。
羅睺・計都は実在しない星です。惑星X、かの 妖星ニビル みたいですが、そこは本シリーズでまたあらためて。
中心の星を囲む八つの星というデザインなのですが、中心の星が地球か、太陽か、によって天動説(地球を中心に天が回る)、地動説(太陽を中心に地球も含めて回る)に分かれます。
*****
新庄まつり(山形県、新庄藩主戸沢家の家紋)のホームページでは、太陽を中心にした地動説が紹介されています。
九曜の紋|新庄まつり公式ホームページ|ユネスコ無形文化遺産登録 | 国指定重要無形民俗文化財|山形県新庄市
*****
一方、鳥取県倉吉市の満正寺(伯耆の荒尾氏の菩提寺)の九曜曼荼羅の説明では、中心は土、つまり、地球と説明しており、いわゆる天動説。
満正寺の九曜曼荼羅では、各星に仏神(仏菩薩)が関連付けられ、説明されています(本地垂迹、ほんじすいじゃく)
荒尾氏は、戦国武将らが戦の前に、勝負吉凶を占う秘術を伝える、いわゆる軍師参謀の家系とのこと。
満正寺サイトより)平安時代には「九曜曼陀羅」は真言のご本尊として崇拝されました、中でも、この九曜文様が「道途の安全の守護」今で言う「交通安全」の霊験あらたかな「おまじない」だ、ということで、公家衆の輿車・牛車・網代輿・雨眉車・文車等の多くに描かれたと伝えられ厄よけの重要な文様です
さて、この九曜紋、なぜ平安京で、交通安全の紋として使用されるようになったのか、次回、少し考えてみたいと思います。