はじめに
四天王寺伽藍の中心は #転法輪石。仏法(#聖徳太子)と神道(#太陽祭祀:#推古天皇)が交わるところのシンボル、目に見える#以和貴『和をもって貴しとなす』でしょうか #難波宮 #八角殿
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本文
四天王寺の転法輪石【以和貴のシンボル】
左の写真、伽藍の真ん中(五重塔と金堂)の間を通る石畳のラインが、春分・秋分の日、東の日の出、西の日の入の方向を指します。
仏法(聖徳太子、教え)と 神道(太陽祭祀:推古天皇、方位) の思想が交わるところのシンボル、
以和貴、和をもって貴しとなす の精神を見えるものにしたのではないでしょうか。
四天王寺西大門の転法輪
伽藍の西、西大門には転法輪が4つあります。
転法輪解説(四天王寺))転法輪とは古代インドの戦車の車輪を形どったもので「お釈迦様の教え」の意味がある。参詣者はこれを手のひらで軽く右(時計回り)に回転させ、仏の尊い教えが車輪のように回転して遠くまで広がる様をあらわしている
昨年のコロナ禍以来「触らないでください」のポスターで覆われていて撮影できません。
ので、無料写真ACさんから拝借しました(上手な人が撮ると美しいですねぇ笑)
前期と後期の運用が確認される難波宮。現在は難波宮跡公園として保存されています。
前期は仁徳期(第16代、古墳時代中期、難波高津宮)、後期は孝徳期(第36代、飛鳥時代)と考えられています。
仏教が伝来し、古来の神道哲学が揺らぐとともに、進取の渡来仏教を受け入れるまでの間、ヤマト王権の中でも、数えきれないほどの事件、紆余曲折がありました。
後期難波宮(遺構)には、八角殿 としてその歴史が刻まれています。
太極殿を挟んで東西に八角殿跡(西の八角殿は鉄筋で再現されています)
転法輪(和合)の精神で、八方広く、遍く(あまねく)国を統治する大王の意思表示だったのかも(写真は昨年夏ごろ)
古墳時代中期 #鉄器の需要が急増。原料鉄の輸入対価として #硬玉ヒスイ が集められ韓半島マーケットに輸出。#物部氏 はサプライチェーンを支配