ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【三島神社】天然記念物の巨樹 薫蓋クスが見つめた一千年【山王・日吉大社の由緒について】

はじめに

古代河内湖の低湿地帯だった門真市の(山王)#三島神社。創建は平安時代末期か。境内の大楠(おおくすのき) #薫蓋クス(くんがいクス)は天然記念物。高さ約24m、根元の幹周り13m、樹齢一千年の巨樹。#山王・日吉大社の由緒

目次

本文

(山王)三島神社大阪府門真市三ツ島1丁目)

由緒と御祭神は記事末に。

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(山王)三島神社

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(山王)三島神社 鳥居

天然記念物の大楠、薫蓋樟(くんがいクス)

境内の大楠(おおくすのき)。薫蓋樟(くんがいしょう)、薫蓋クス(くんがいクス)と称されます。

高さ約24メートル、根元の幹周り13.1メートル、樹齢一千年 の巨樹で、本殿に覆いかぶさるよう枝葉が繁っています。国指定の天然記念物。

スマホでは一枚に納まりません。笑

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(山王)三島神社 薫蓋クス

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(山王)三島神社 薫蓋クス 三島稲荷の社

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三島神社拝殿と薫蓋クス

(山王)三島神社 境内

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三島稲荷大神(白髭大神、楠大神)

左少将有文(千種有文、1815~1869)の和歌が刻まれた薫蓋樟の石碑。大楠の名前は、この碑に由来します。

村雨の あまやどりせし唐土(もろこし)の 松におとらぬ 樟ぞ此のくす

幕末から維新にかけて岩倉具視(いわくらともみ)とともに行動し活躍した、和歌に優れた人でしたが、明治二年に早世し岩倉ほどに有名にはならなかったそうです。

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灯篭

(山王)三島神社 御由緒

御由緒の中、天台宗山王権現についての解説がわかりやすく(太字)、たいへん参考になります。

御由緒(要約)古来山王権現と称したが、明治三年四月に現社名に改めた。近江国の山王総本宮日吉大社より御分霊を勧請し、氏神として奉祀した。創建は不詳だが、隣接する鶴見神社(大阪市鶴見区)の史料には「御白河院*1の御字・近江国辻村の農民十七人が多数の人夫を連れてこの地に下向・開村の時、日吉大社より分霊を勧請したのに始まる」と記されている。・・・山王権現伝教大師最澄)が中国天台山の山王祠に模して、比叡山延暦寺の守護神として建立。祭神は三王三社といい、これに八王子客人(まろうど)、十禅師等を加えて上七社、下七社、総称して山王二十一社といわれる複雑な神であるが、これを要約して素戔嗚尊スサノオ)と大己貴尊(おおなむち、すなわち大国主命)としたのである・・・明治五年、郷社に列し、四十一年八月に稗島(ひえじま)の村社・堤根神社(祭神;天照皇大神)を合祀・・・現在の祭神は、天照皇大神(本社)、大己貴命素戔嗚尊主祭神)の三神となった

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*1:後白河院か。第77代後白河天皇。即位は四年(平安時代末期)だが譲位後に34年間の院政を行った(~鎌倉時代