はじめに
飛鳥の新時代に向けた大阪 #四天王寺 創建にあわせ #聖徳太子 が瓦造りのためにひらいた湖東平野の #市神神社。由緒に職人たちの街づくりの起点として #ゑびす様(#事代主命 土地開発の神格)を祀ったとされています #額田王 #安倍晴明
目次
本文
【前回。市神神社濱宮】
市神神社
(35.11441365327836, 136.19719609924212)/滋賀県東近江市八日市本町15−4/(最寄り)近江鉄道万葉あかね線・八日市駅より徒歩5分。八日市駅はJR東海道線・近江八幡駅から6駅19分(車)近江八幡駅から10キロ約25分(神社に隣接して市営の有料駐車場あり)
当社は 市宮さん、市宮ゑびす の名で親しまれています。
御祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)/配祀神:大国主命・猿田彦大神・額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみ)
【『口語訳』(補注)】「市神ノ本紀」によれば『推古天皇元年(593)、聖徳太子四天王寺を造営した時、同郡 白鹿山(はくろくざん、箕作山)の東の麓でたくさんの瓦を造り、難波津に運ばせた。そのため太子は新たに 瓦屋寺(瓦屋禅寺)を造営し、民家数百戸を置いて、事代主命の神像を刻んで祭壇におさめ、推古九年、市をたて店を開かせ、士農工商の別なく交易することを教えられた。その後、正暦(平安期)のころ、安倍晴明 が白鹿山で太子の神像を拝し、その遺志を継ぎ、市宮鎮護の祈りをあげられた』云々とあり、境内にりっぱな聖徳太子像がある。また万葉集最高の女流歌人 額田王 立像をおまつりするのでその銘碑がある。さらに昭和六十年四月には万葉と風土の研究の第一人者・大阪大学名誉教授・犬養孝博士の筆になる額田王の歌碑が立った
御由緒中、聖徳太子が 大阪四天王寺 創建にあわせて、たくさんの瓦*1をつくった箕作山(白鹿山)の東の麓、
また、箕作山腹の瓦屋寺(瓦屋禅寺)への参道入口にあたるところに当社は鎮座しています。
前々回紹介した太郎坊宮阿賀神社(同じく聖徳太子譚がある)は箕作山の南に連なる赤神山の山腹に鎮座。
市神神社 境内
額田王の万葉歌と碑
犬養孝先生が揮ごうした万葉第一の女性歌人・額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみ)の歌碑
君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし秋の風吹く(巻四-四八八)
恋しいあなたを想っていると(あなたが私のところに訪れたかのように)すだれを動かして秋の風が吹いています
【額田王の万葉歌】
【万葉人・犬養孝先生】
*1:先日紹介した太郎坊宮阿賀神社の碑には十万六千枚とある