はじめに
湖東平野に屹立する岩塊の #赤神山 山中の #太郎坊宮阿賀神社。大阪 #四天王寺 創建のみぎり、隣接する箕作山の土で瓦を焼いた時 #大天狗 の導きで #聖徳太子 と御祭神が出逢ったのが由緒
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太郎坊宮 阿賀神社(たろうぼうぐう あがじんじゃ)
(35.11818884039196, 136.18149187963172)/滋賀県東近江市小脇町2247/麓から第一・第二・第三駐車場。JR東海道線・近江八幡宮駅から10キロ(車で25分)、近江鉄道 「八日市駅」から車(タクシー)で10分または「太郎坊宮前駅」から徒歩20分
近江八幡駅から東(琵琶湖方面とは逆方向)、東近江市の平野にそびえる岩塊の赤神山。
赤神山(あかがみやま、標高357m)には 大天狗(太郎坊)が住んでいて、千四百年前、聖徳太子が隣接する箕作山(みつくりやま、標高373m)の土で四天王寺の瓦を造っているとき、太郎坊の導きで 正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神(まさかつ・あかつ・かちはやひ・あめのおしほみみのおおかみ)に逢い、赤神山に社を創建したと伝えられています。
聖徳太子は、四天王寺の建立にあたり、その建築資材の多くを近江に求めて、箕作山の麓で瓦を造り始め、この大事業が成功するように寺院(瓦屋禅寺)を建立しました。瓦の粘土を採った穴には水が溜まり吉住池となりました。完成した十万六千枚もの瓦は、愛知川、琵琶湖、淀川の水路を運ばれ、安全を祈願して天神社が勧請されました。太子が太郎坊山に宿る神様の使いと名乗る天狗に巨岩まで案内され、奥が赤く光る割れ目の中を進むと、一柱の正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神(まさかつ・あかつ・かちはやひ・あめのおしほみみのおおかみ)という、願いを勝ち取る力を与える神様がおられ、国の安寧のために近江の神仏を祀る社寺の建立を誓った太子を称賛し「勝つとは戦いに勝つことだけではなく、願いを成就させることも国難に打ち勝てばこそ。この力を太子に授けるので、国を安ら家けく、豊かにするために使うように」と告げると、赤い光とともに姿を消されました。太子は大いに感動し、この神様を太郎坊大権現と奉り、山を赤神山と名付けました
なお、聖徳太子の時代には大権現という言葉はありませんでした。大権現は中世以降、むしろ近世の言葉(例、東照大権現=徳川家康)。
太郎坊宮 阿賀神社 参拝
当社には麓から第一・第二・第三の駐車場があり、第一駐車場から七百段以上の石段、第三駐車場から二百数十段の石段と書いてあり、
迷わず第三駐車場まで上がってから参拝😀(第三駐車場は上の遠景写真、赤神山の中腹の建物下にあります)
御本殿までの長い石段の途中、振り返ると、眼下に湖東平野(東近江市)。
鳥居をいくつか潜り抜けて石段を登りきると、大きな割れ目のある夫婦岩。
伝説にいうここが「奥が赤く光る割れ目」ですね。
割れ目の間に狭い参道。この向こうに御本殿が鎮座しています。
約七千万年前の火山活動でできた赤神山(夫婦岩)
夫婦岩をくぐり抜けた御本殿前に、湖東平野にぽつんと屹立する赤神山(箕作山)ができた理由が書かれた案内が掲げられていました。
阿賀神社の鎮座する赤神山をはじめ湖東平野に散在する山々は、中世代白亜期(およそ七千万年前)の火山活動でできたと考えられており 湖東カルデラ と呼ばれている。これらの山々は 湖東流紋岩 と呼ばれる岩石で構成されており、湖東平野の特徴的な地形景観を形成している。火山岩は冷えて固まっていくときに収縮し「節理」と呼ばれる規則的な割れが生じる。この夫婦岩は、摂理に沿って割れ目が発達したものである。昔からこの間を通って参拝する者には、即座に病苦を除き諸願成就するが、悪心ある者には岩に挟まる と言われてきた。節理が平行に見事にずれた形状は、まさしく言い伝えの「大神の神力を以って左右に押し開かれた」霊力を感じさせるものである。
カルデラとは、火山の噴火口の真ん中がマグマの噴出で沈んで、周囲に環状の山塊(噴火口の淵)が残されてつくられた地形をいいます。
巨岩に挟まれず、無事参拝を終え、帰れました。