ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

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宗祐寺(奈良県宇陀市)三点セットが結ぶ焦点【太子信仰と蝦夷】★

はじめに

聖徳太子の開基と伝わる #宗祐寺(創建時は多聞院)。太子にまつわる #東夷降伏の功 伝承 #殺生戒 の碑 御本尊の #毘沙門天。三点セットは蝦夷ヤマト王権の史実に焦点を結びます

目次

本文

「東夷降伏の功」「殺生戒」「毘沙門天

奈良県宇陀市榛原に宗祐寺(そうゆうじ)という聖徳太子の開基(608年)と伝わるお寺があります。

元は、聖徳太子が「東夷降伏の功」を成就し毘沙門天を勧請した「多聞院」。参道入口に「聖徳皇太子殺生戒御舊跡(ごきゅうせき)」の石柱があり太子が仏の五心の一つである不殺生を説いていたことがうかがえます(以上、宇陀市ページ等よりまとめ)

平安時代末期(1131年)、融通念仏の祖・良忍が「殺生戒」の霊地を尋ねて当地に至り、融通念仏を勧請し、さらに時代が下って信長公の時代(1559年)に現在の宗祐寺となりました。

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「東夷降伏の功」は『太子8歳の時、蝦夷数万の大軍が飛鳥に襲来したが無事宇陀の墨坂に避難して無事を得た』という故事によるとのことですが、そのような史実はなく、また、宇陀の墨坂は神武東征神話に登場する地でもあり、明らかに、太子を聖人化するための後世の作り話でしょう。

私が注目するのは 東夷降伏の功 の伝承、殺生戒 の霊地であること、そして 毘沙門天三点セットが集められている ことです。

宗祐寺のこん跡・三点セットが結ぶ焦点★

古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE

殺生戒については、太子の動物好きは、愛犬「雪丸」のほか、先日紹介した馬の話などよく知られています。

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聖徳太子の愛犬 雪丸像 達磨寺(奈良県王寺町

特に馬については太子の人生においても特別な存在だったのではないか。。。私の妄想に過ぎませんが、太子が丁未の乱(587年)で物部氏を滅ぼした動機の大きなひとつに、馬があったと考えているくらいです。(それはいずれ何かの機会に書きたいと思います。)

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毘沙門天(びしゃもんてん)はインドのヒンドゥー教の神さまで、日本に伝えられた四天王のうちの多聞天にあたります。

「多聞」から「豊聰耳、とよとみみ」になったのか、あるいはその逆なのか。

ご存知の方も多いと思いますが、毘沙門天北方鎮護の武神 です。

日本の七福神毘沙門天(融通招福の神)は、宗祐寺に描かれた聖徳太子をモデルにしている気がします。

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その北方鎮護の神さまになった聖徳太子が対峙したのが東夷、つまり、蝦夷(えみし)というわけです。

もちろん太子が生きている間の話ではありません。

後世の創作、太子の聖人化によって、そういうストーリー仕立てになっていったということです。

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いわゆる、こういったヤマト側のイメージ、論理で、あらためて甲斐の黒駒伝承や、遠野物語オシラサマ伝承をよむと、また一味違った読後感になるのではないでしょうか。

一行で書くと『ヤマト政権の蝦夷浸透において、聖徳太子の仏教思想が活用された歴史』というところでしょうか。

後はご想像にお任せします。(あっ!先日予告した妄想MAX★★★になりませんでした。笑)

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駒形の奉納。左)厳鬼山神社 右)大石神社(いずれも津軽岩木山の麓の神社)

明日香村立部のつなぎ石の向こう、若き太子が通った「イイ人」がいた定林寺跡(尼寺)と伝えられます。国立民族学博物館馬頭観音の後ろが気になる人は私と同類です。Σ(・ω・ノ)ノ

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左)明日香立部の太子の愛馬のつなぎ石、右)国立民族学博物館馬頭観音(遠野)レリーフ

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甲斐の黒駒伝承、遠野物語オシラサマ伝承(各要約。12月28日・29日記事再掲)

太子は推古6年(598年)4月に諸国から良馬を貢上させ、献上された数百匹の中から四脚の白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜いた。9月に太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると3日を経て都へ帰還した

ある農家の娘。飼い馬と仲が良くついには夫婦になってしまう。父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、すがりついて泣いたが父はさらに怒り、馬の首をはねた。すかさず娘が馬の首に飛び乗るとそのまま空へ昇りおしら様になった。(後日譚として)天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え(オシラセ)絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になった・・・以上の説話から、馬と娘は馬頭・姫頭2体の養蚕の神となったとも考えられている

アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(連載中)

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