奈良県 #明日香村 #橘寺。#聖徳太子 の誕生地。イエス・キリストの約六百年後、厩(うまや)で誕生した日本の聖人の始まりの地らしく、伝承にもとづく数々の聖蹟が残されています
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橘寺(たちばなでら)
(34.46940826219397, 135.817166991936)/奈良県高市郡明日香村橘532/近鉄樫原線・吉野線・橿原神宮前駅→奈良交通バス飛鳥大仏前経由岡寺前行きで23分(バス停:岡橋本下車、徒歩2分)。近鉄吉野線・飛鳥駅→明日香周遊バス(赤かめ)で10分、バス停:川原下車、徒歩3分。専用駐車場あり
橘寺の背後・南側のこんもりとしたお山が仏頭山(ぶっとうざん)。
仏さまの頭に見えるところからその名がついたのか、聖徳太子誕生にからめて日本仏法の発祥地であることからその名がついたのか。
東西に長い境内です。
ふつうのミカンよりも小ぶりな橘の実が成っていました。
橘寺 太子の聖蹟が各所に残る境内
古墳時代末期の572年、第31代用明天皇を父、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)を母として、聖徳太子はこの地で誕生しました。
ここは太子の祖父、第29代・欽明天皇の「橘の宮」があった所で、急に産気づいた母が宮中の厩(うまや)で太子を産んだと伝承されます。
太子が天駆けて富士山頂まで登ったという伝説の愛馬・甲斐の黒駒の像。
お腹には橘の御紋。
太子35歳の時、推古天皇(女帝、第33代)の命により「勝鬘経(しょうまんぎょう)」を講じたところ「大きな蓮の花びらが降り積もった」と伝えられ、
その蓮の花びらを埋めたのが蓮華塚。
案内板には「大化の改新の時の一畝(約100平米)の基準となったので、畝割塚とも云う」と書いてあります。
さらに、勝鬘経の講義の折には「南の山に千の仏頭が現れ、光明を放ち、太子の冠から日月星の光が輝いた」とも伝えられます。
日・月・星の光を放ったと伝えられる三光石(左)。
三本の柱状がある珍しい石ですね。
私の地元・四天王寺の近く、大阪夕陽丘の愛染堂にも、太子が推古天皇に勝鬘経を講じたという伝承があります。
本堂に「鬼仏同身」という片面にお多福、片面に夜叉の顔の絵が掛けられてましたが、二面石のことでしょうね。
私の解釈はちょっと違いました😀
境内の花など
せっかくですから、境内の秋をご覧ください。
酔芙蓉(すいふよう)が見ごろ。朝には白く、夕方には赤く染まる花であることからその名がついたそうです。
車(レンタカー)で来たので踏まないように…車内がタイヘンなことになります😅
観光客が入る駐車場がある西の山門とは反対の東の山門。
こちらが正面玄関になるそうです。
山門から見える山の中腹の三重塔(左側)は岡寺(龍蓋寺)。