はじめに
大阪四天王寺の西、逢坂(おうさか)を下る途中、古くは #荒墓(アラハカ)とよばれた地の #一心寺。浄土宗開祖 #法然上人 開基。遺骨が #阿弥陀如来像 となる #骨仏の信仰習俗 は大阪市の無形民俗文化財
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本文
お骨仏の寺 一心寺
大阪市天王寺区逢阪2丁目8−69/大阪メトロ谷町線・四天王寺前夕陽ケ丘駅から南に徒歩10分。天王寺駅から北に徒歩15分
建築家でもある高口恭行長老が設計した現代アート風の山門は平成九年に建てられました。
仁王像は彫刻家・神戸峰男氏作。
四人の天女が描かれた扉。
境内
一心寺は、鎌倉時代の法然上人(浄土宗の開祖)が、四天王寺別当(住職)であった慈円和尚に請われ、
当時、四天王寺の西の海のほとり、荒墓(あらはか)の地に、草庵を結んだのが始まり。
以来、沈む夕陽に西方浄土を観想する日想観(じっそうかん)を修する聖地となり、
熊野詣で四天王寺に立ち寄った後白河法皇(鎌倉殿の十三人では西田敏行さんが演じた)も、法然上人とともに夕陽を観想したと伝えられています。
江戸期には、家康公以来、浄土宗を信仰した徳川家の大坂の菩提寺でしたが、
江戸末期の頃(1800年代前後)には、寺は衰微していました。
天保年間に、第五十代・真阿上人が、大坂の庶民に向けて、宗派を問わず、年中無休で施餓鬼供養(せがきくよう)を始めたことから、寺は復興します。
「宗派を問わず」は現代にも通じるお寺経営のキーワードで、「年中無休」の便利さから、
特に大坂に奉公に来て生活が安定した人たちの、ご先祖様の分骨供養ニーズを集めたのが、「お骨仏」の走りになりました。
今は、お墓を持たずに納骨して永代供養するお寺として、関西ではよく知られています。
お骨は、十年ごとに集められ、仏様(阿弥陀如来像)になります。
現在までに、お骨仏になった遺骨の総数は200万を超えていると云われ、今日も、供養する人々で賑わっていました。