はじめに
春分秋分の夕刻、西の #石鳥居 の真ん中に没する夕陽を観て #西方極楽浄土 を想う #四天王寺 #日想観法要。その起源は創建時から重視された #太陽の道。#阿弥陀如来 #山越来迎図
目次
本文
前回の住吉大社ラインに続き、生駒山系の生駒の大鳥・天照山を起点に、四天王寺ラインが明石海峡を指す理由を考えてみました。
四天王寺(西側)では石畳の参道を挟んで、有名な石鳥居と西大門が並びます。
毎年、春分・秋分の日の夕刻に、東の境内からみて 石鳥居の真ん中に没する夕陽を観て、西の阿弥陀世界・西方極楽浄土を想う日想観(にっそうかん、じっそうかん)法要 が盛大に行われます。(一帯の「夕陽丘」の地名は、こういうところから由来します)
西大門の格子の奥に描かれた四枚の壁画のうちの一枚、武庫山越(むこやまごえ)の阿弥陀如来。
案内にも書かれていますが、鎌倉時代以降に盛んに描かれるようになった 山越来迎図 のデザイン様式です。
臨終を迎えた人に、阿弥陀如来と脇侍の菩薩たち(勢至菩薩、観音菩薩)が西方極楽浄土から迎えに来た場面を描いたといいます。
一言でいうと お迎えの図。
ここまで書くと、もうお分かりでしょうか。
四天王寺から見て、はるか西の方、阿弥陀如来があらわれるところ・・・明石海峡 の他に候補は考えられません。
武庫山越の阿弥陀如来のデザインに書かれた海を、瀬戸内海につながる明石の海と考えると、左(南)の山は淡路島、右(北)の山は六甲山系ということになります。
いろいろな説を調べていて、大和二上山かな?とも考えましたが、それでは海(海峡)の説明がつきませんでした。
明石海峡と考えると、西大門に描かれた山越来迎図のデザインの意図が、しっくりと頭に入ってきます。
二本の太陽の道から見えてくるこの国の歴史と信仰の変化
古墳時代中期に栄えた応神天皇ファミリー(神功皇后・仲哀天皇)の血脈の故郷を遥拝する住吉大社。
飛鳥時代に建立され鎌倉時代に隆盛となった四天王寺では、応神天皇(八幡神)が時代とともに阿弥陀如来と習合し、西方極楽浄土の仏教世界観であらためて崇敬されるようになった。。。
そんな歴史や信仰の変化が 二本の太陽の道 から見えてきます。
では、明石海峡からやって来た人には、例えば四天王寺は、どう見えたのでしょうか。
次回、当シリーズ最終。