はじめに
京都祇園 春の風物詩 #都をどり。鮮やかで艶やかな #京舞 の世界。#井上流家元 が舞う #竹生島 は #弁財天 の由緒を訪ねて難波 #四天王寺 から #石清水八幡宮 #志賀の寺 #琵琶湖 をめぐるお話 #京舞
目次
本文
江戸期の京都・大坂、お座敷で舞う上方舞が発展しましたが、京舞 は江戸末期の初世・井上八千代(1767-1855)が、お能や人形浄瑠璃(文楽)を採り入れて井上流の基礎を築き、現在の五世家元まで継承されています。
亡き母が大好きで、子どもの頃、何度か 都をどり*1に連れていかれた記憶があります(子どもには退屈でしたが。笑)
京都の春の風物詩とも云われる都をどりは、井上流プロデュースで、家元がお師匠さん。
竹生島(ちくぶじま)
代表的な演目のひとつが竹生島(ちくぶじま)。
琵琶湖の北に浮かぶ竹生島は、奈良時代に行基(ぎょうき)が四天王像を安置したのが信仰の始まりとされていますが、あるいはそれよりも、古い時代から弁財天が祀られていたとも云われています(竹生島神社(都久夫須麻神社。市杵島比売命)と宝厳寺(弁財天)*2。日本三大弁天のひとつ)
五世家元(現在)のおばあ様(1905-2004年)の竹生島(ちくぶしま)(19分16秒)
『竹生島』は、摂津難波の四天王寺から 、淀川上がりで石清水八幡宮(八幡山の八幡大菩薩)と志賀の寺(現在の崇福寺跡)、竹生島への参詣の道行きを描きながら竹生島の縁起を謡っています。地唄の歌詞です。
さる程に、これは勿体(もつたい)なくも竹生島、 弁財天の御由来、委しくこれを尋ぬるに、津の国難波の天王寺、佛法最初の御寺なり。 本尊何かと尋ぬるに、しょうめん童子庚申(かのえさる)。聖徳太子の御建立、三水四石*3で七不思議、 亀井の水の底きよく、千代に八千代にさざれ石、巌(いはほ)となれや八幡山、八幡に八幡大菩薩。山田に矢橋(やばせ)の渡し守。 漕ぎゆく船から眺むれば、女波男波の絶間より、弓手(ゆんで)にたかき志賀の寺、馬手(めて)は船路で片をなみ、 沖なる遥かを見わたせば、昔聖人のほめたまふ、 余国に稀れなる竹生島。 孝安天皇の御代のとき、頃は三月十五日、しかもその夜はつちのとの、巳を待つ辰の一天に、 二股竹を相添へて、八声(やごえ)の鶏と諸(もろ)ともに、 金輪奈落の底よりも、揺ぎ出でたる島とかや。さるによって鳥居にかげし勅額は、 竹に生るる島とかく。 これ竹生島とは読ますなり。弁財天は女体なれど、十五童子のそのつかさ、 巌に御腰をやすらへて、琵琶を弾じておはします。
『(旧暦)三月十五日、己(つちのと)の日の夜、巳の前、辰(たつ)の刻に、深い地の底から揺るぎ出でたのが竹生島』で、
『弁財天は女神だけれど、十五童子の頭目として大岩に座って琵琶を奏している』と謡われています。
琵琶湖-淀川を繋ぐ一直線
少し気になることがあって『竹生島』に登場する神社仏閣をグーグルマップで繋いでみました。
まさかとは思っていたのですが、、、面白いことが見えてきそうですねぇ