はじめに
かつて #四天王寺 石鳥居の付近に #熊野神社 があったことは近くの #堀越神社 説明板に書かれています。実際にどのあたりに鎮座していたのか。転法輪石から西の延長線上に #西大門 その前に神社様式の #浮橋
目次
本文
四天王寺に熊野神社があったという話、近くの堀越神社の説明板に熊野神社があったことが書かれていますし、そのことは以前に紹介しています。
熊野第一王子の社・窪津王子は、もともと四天王寺の北約5キロ、淀川(大川)の八軒屋(はちけんや)という京からの終着点・船着き場にあったのが、四天王寺の石鳥居近くの熊野神社 に合祀され、さらに堀越神社に合祀され現在の熊野第一王子の社になったという話です。
堀越神社 熊野第一王子の由緒
文字起こし)平安時代に「蟻」の熊野詣といわれるほど賑わった熊野詣は、目的の熊野三山巡拝の前に、熊野権現の分霊を祀った九十九の王子社の巡拝しながらたどっていきます。京の都から船で淀川を下り、上町台地へ上陸する天満の港に「窪津王子」がありました。ここが熊野の出発点で、九十九王子の第一王子・窪津王子に参拝して御祓を受けた後、熊野詣に出発したといわれています。この「窪津王子」その後、四天王寺の西門鳥居近くの「熊野神社」に鎮座していたと伝えられていますが、後に堀越神社に合祀され「熊野第一王子之宮」として現在に至ります。また熊野権現の神使いは八咫烏(ヤタガラス)。三本の足を持つカラスとして描かれています。日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みのほか、神武天皇の東征を道案内したり、その功績は数多く伝えられています。祭の日(四月第三月曜日)に熊野社花祭が催されます。
堀越神社【御祭神は崇峻天皇。配神は小手姫皇后、蜂子皇子(息子=出羽三山開祖の能除大師)、錦代皇女】
石鳥居と西大門の間の浮橋
では熊野神社はどこにあったのか?
それを推定するこん跡が浮橋です。
「ハシ」をわたった先に、聖地(御神域)としての「シマ」があるという様式は現在にも残ります。
四天王寺と同じく、飛鳥~奈良時代の古いお寺にもこん跡がみられます。つまり、それらのお寺は神社があった場所に建立されているケースです。
四天王寺の熊野神社は、この浮橋から先がシマ、御神域で、つまり現在の西大門から先の金堂や五重塔があるあたり、具体的には転法輪石から先のところに御祭神(クナト神、平安時代風にいうと熊野権現*1)が祀られる場所があったものと推理されます。
実はそのあたりは私の小学生の頃の遊び場(草野球ができる広場)でした。今、必死で記憶を掘り起こしています。笑(次回。近日)