もともと約4キロ北の天満橋の八軒屋あたりにあった熊野街道・九十九王子の第一番目の窪津(くぼつ)王子社。
現在は堀越神社(大阪市天王寺区茶臼山町)境内に遷座していることを紹介しました。
堀越神社は、四天王寺を守護する七宮のひとつとして茶臼山近くに造営された神社で、
主祭神は第32代崇峻大王(泊瀬部皇子、はつせべのみこ)
奥様(皇后)・娘・息子、家族とともに祀られています。
明治の中頃まで、南側に石段と鳥居正面があった名残りです。
南側は低地の堀で、これを越えてお詣りするため、堀越の名になったとか。
茶臼山稲荷神社(堀越神社境内)
もともと茶臼山山頂にあった社とのことで、大坂冬の陣で近くに本陣を置いた徳川家康公が、稲荷の白狐に危機を救われたという言い伝えがあります。
大坂夏の陣では真田幸村公の本陣になるなど、一時荒れたようですが、戦の後、家康公が手厚く現在地に移転したといいます。
撮影中、たまたま白狐ではない謎の生物が朱の鳥居を横切る。笑
最果ての地・茶臼山に祀られた悲劇の二人
茶臼山は暗殺された(583年)日羅公の埋葬地と推理しています(難波小郡西畔丘前、なにわのおごおりのにしのほとりのおかさき)
また、崇峻大王は日本古代史では唯一、暗殺された大王とされています(592年)
悲劇的な最期を遂げた二人の『時代』と『記憶』の近さ。
これは偶然でしょうか。いえ、二人の関係のことではありません。
この一帯は(飛鳥から見て)当時の西の最果て。茶臼山は難波の海に付き出した岬。そんな土地柄のことを言っています。
ここにも、当時のヤマト朝廷(飛鳥京)と上町半島の、複雑な、おそらく何か隠された関係が暗示されています。