はじめに
淡路島北部、西側の海岸線から約3キロ、標高約200mの丘陵地の #五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)。2004年に発見され、弥生時代後期(1~2世紀頃)の鉄器づくりのムラであることがわかりました #倭国大乱 #板状鉄斧(ばんじょうてっぷ)#鉄鋌(鉄てい)
目次
- 五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)
- 復元された竪穴工房(SH307)
- ごっさ鉄器工房
- 鉄器の原料となった板状鉄斧(ばんじょうてっぷ、鉄鋌(鉄てい))
- 播磨灘を眺望する景色
- 【古代妄想・関連記事】河内の鉄鋌(鉄てい)板状鉄斧
本文
五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)
淡路島西側の海岸線から約3キロ。標高約200mの丘陵地。
2004年、台風被害(23号)による農地被害の調査中、弥生時代後期(1~2世紀頃)の鉄器づくりのムラ跡が発見されました。
(34.504162698448056, 134.90823988063315)/兵庫県淡路市黒谷1395-3番地(五斗長垣内遺跡活用拠点施設)/専用駐車場あり【開館時間】9時00分~17時00分【休館日】月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月28日~1月3日)
東西約500m、南北50mの範囲に23棟の竪穴建物跡が発見され、うち半数を超える12棟が鉄器を造る鍛冶作業場であったことがわかりました。
鍛冶作業場(パンフレットの赤い〇のところ)の地面には、高熱をうけて土が赤く焼けた鍛冶炉(かじろ)跡のほか、
100点を超える矢じりや板状鉄斧(ばんじょうてっぷ、鉄鋌(鉄てい))などの鉄器、
さらには鍛冶作業に使われた台石や叩き台、砥石(といし)など、が見つかりました。
復元された竪穴工房(SH307)
弥生時代後期(1~2世紀頃)というのは、魏志倭人伝(ぎしわじんでん、三国志・魏書の中の倭人条)には、列島各地で争乱が起きたという 倭国大乱 の時代の百年間、つまり、日本古代史における空白の時代にあたります。
その後、ヒミコ(ヤマタイコク)が現れた時代とともに五斗長垣内(ごっさかいと)の鉄器鍛冶工房は、こつ然と消えてしまいます。
ごっさ鉄器工房
鉄器の原料となった板状鉄斧(ばんじょうてっぷ、鉄鋌(鉄てい))
淡路島には砂鉄や鉄鉱石を採取できるところはなく、原料をどこから入手していたのか謎でしたが、五斗長垣内遺跡より、板状鉄斧(ばんじょうてっぷ)が出土し、朝鮮半島から原料鉄を輸入して、鉄器を造っていたことがわかりました。
形・重さが調整され、秤量(かんりょう)でき、かつ、船に積み込んで輸送しやすくなっており、いわゆる、通貨的な価値があったと考えられます。
播磨灘を眺望する景色
【古代妄想・関連記事】河内の鉄鋌(鉄てい)板状鉄斧
板状鉄斧は 鉄鋌(鉄てい) とも言い、河内エリアを中心とした古墳時代の遺跡から多数、出土しています。