はじめに
国史跡 #大森勝山遺跡(弘前市)。世界遺産認定に向けて動き出した #北海道・北東北の縄文遺跡群 で青森県8遺跡のひとつ。古来からの霊山 #岩木山 を眺望する台地にあり、人々の生活痕が少ない点で、三内丸山遺跡や亀ヶ岡遺跡とは少し違う印象です #ストーンサークル #環状列石
目次
本文
世界遺産認定に向けて動き出している『北海道・北東北の縄文遺跡群』で、青森県は8遺跡を申請しています。
そのうち、2018年に三内丸山遺跡(青森市)、2019年に亀ヶ岡石器時代遺跡(つがる市)、そして今年は、岩木山山麓の大森勝山遺跡(弘前市)を見学しました(10月13日訪問)。
大森勝山遺跡(縄文晩期)青森県弘前市
岩木山麓の北東、標高143~145m、山頂付近の水脈が中腹で露出し流れ下る大石川と大森川に挟まれた細長い三角形の台地(舌状台地)に位置しています(写真右、指差し左が大石川、右が大森川)(先日紹介した大石神社は、地図の大石川の上流方向に鎮座しています)
昭和・平成に行なわれた2回の発掘調査で、今から約3000年前、縄文晩期のストーンサークル(環状列石)、その軸線上に100m離れた遺跡の南西端で、大型竪穴建物跡(直径約13mのくぼ地で発見、中央に石組炉)、土器埋設遺構、屋外炉、捨て場などが発見されました。
縄文晩期のストーンサークルは、国内でも数少なく、台地を整地した後、円丘状に盛土し、その縁辺部に77基の組石を配置しており、長径48.5m、短径39.1mのやや楕円形に造られています(案内板より)
冬至に岩木山山頂に沈む太陽
環状列石、ストーンサークルは世界各地の遺跡にみられますが、日本には北海道・東北を中心に多数発見されており、いずれも縄文中期以降に造られたものです。縄文中期といえば今から5500年前ごろですから、世界基準でみても、日本の築造年代は最古級です。
縄文の人々が何の目的でストーンサークルを造ったのか。ウッドサークルとともに謎に包まれていますが、注目されるのが大森勝山遺跡の位置。
冬至(12月下旬)の頃、大森勝山遺跡から、岩木山山頂に沈む太陽を観ることができるそうです。
縄文時代は太陽暦???
岩木山山頂の日没の太陽が、半年をかけて北西(写真右)に移動し、また半年かけて山頂(南西)に戻って来るサイクルは、ちょうど現在の太陽暦の一年で、そのカレンダーサイクルを北日本の縄文の人たちは利用していたのかも知れません。
節気のように*1、季節を細かく分けて考えるため、環状にたくさんの石を積み、伸びる影(長短)を観察していたのでしょうか?
縄文時代の『公』の意識
大森勝山遺跡の面白いのは、小型の竪穴住居群や生活廃棄物の捨て場(三内丸山遺跡にみられる盛り土)や墓域など、つまり、縄文の人々の『生活痕』がそれほど見つかっていないことです(もちろん今後たくさん発見される可能性はありますが。)
現状から考えて、暦(こよみ)とそれにかかわる祭祀(まつりごと)の場所だったと考えるのが妥当でしょうか。
周辺の岩木山山麓では複数の縄文集落遺跡が発見されており、おそらく未発見も含めて相当数の集落遺跡があるはずで、大森勝山遺跡はその中でも特別な感じがします。
水辺で生活していた人たちが、何らかのイベントで集まる 公共の場、神社のような場所だったのかも知れません
(トチノミの洗い場などを含め、縄文の公共場(共同作業場)を示唆する遺跡は各地で見つかっています)
先日紹介した大石神社の起源もあわせて、岩木山を通して、縄文の人々の生活や考え方を古代妄想してみるのも楽しいものです。
ウッドサークル(過去記事)
*1:雪解けが始まる、アユやシャケが川を上る、雨季(梅雨)がくる、山菜の収穫、木の実の収穫など