ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

志摩の「富士見」とダイダラボッチ伝承が繋ぐ海の古代史の点と線

はじめに

富士見とは #富士山 を遥拝すること。伊勢志摩地方には集落単位で #浅間信仰 が根付く。そして、おぼろげながら #ダンダラボシ伝承 との関係性が見えてきます

目次

本文

志摩半島と富士山の信仰

国崎(鎧崎)の古い案内板

…(国崎の)鎧崎は景観もよく、北東に伊良湖岬、南に大王崎を望み(空気が澄んだ)冬日の日の出の際には、水平線に 富士山 が見えることもあります

志摩半島の太平洋側の岬からは、冬の晴れの見通しの良い日に、富士山を見ることが出来るようです。

志摩半島巡りの地名(黄色の数値は当ブログ記事日付)

立神の立石神社案内板

…近隣の畔名、波切、安乗には 富士講 があり、富士登山をした後、浅間祭りを行ってきた。どの村にも浅間という山があり、立神同様に行者さん(役行者、えんのぎょうじゃ)が祀られている

伊勢プラス志摩半島地域には、200ヶ所を超える富士の信仰地があり、役行者が祀られるのは、大峰山信仰と習合した結果であるそうです。

補足すると(神仏習合で)富士山は大日如来であらわされ、役行者像と大日如来像が一緒に祀られていることも多いとのこと。

江戸期には富士山頂の浅間大社奥宮*1を参拝する富士講が組まれ、地元に神霊を勘請(お招き=社祠を建立)することが盛んで、

以来、祭りを行なう伝統が今でも各集落や漁村で続いています。

ちなみに立神の夫婦岩は、富士山を意味する「浅間さん」とも呼ばれています。

立神の夫婦岩は「浅間さん」とも云われる

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富士山の信仰とダンダラボシ

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志摩半島の太平洋側には、波切の大わらじ祭りを始め、ダンダラボシ(大男)伝承が残されているのを先日紹介しましたが、

志摩半島沿岸部に残るダンダラボシとの伝承(鳥羽志摩の民俗より)

それが鳥羽志摩エリアに根付いた 富士信仰浅間信仰、せんげん)と深く関係したものであると、今回の旅を通じて、理解するようになりました。

そう考える理由を、ひとつ紹介しておきます。

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波切の大わらじ祭りでは、ワラで編んだ大わらじを沖の大王島(大王岩、韋夜が島とも)に流しますが、

大王埼灯台から見て、大王島を目印にして、その先の水平線上が、ちょうど富士山の方向になります。

大王埼灯台から見て、大王島の先の水平線に富士山

大王埼灯台から見て、大王島の先の水平線に富士山

大王島は、海の向こうからやって来たダンダラボシの棲み家と伝えられますから、

ダンダラボシは富士山の方からやって来たと考えることができます。

地元には「波切神社と大王島の間には鳥居と参道がある」という言い伝えがあり、この富士山を遥拝するラインがそれなのでしょうか。

大王島を鳥居に見立てると、伊勢の夫婦岩二見興玉神社と同じ話*2になります。

伊勢市二見ヶ浦 夫婦岩(写真はACより)

二見ヶ浦夫婦岩は富士山(東に28度の方位)を遥拝する岩礁の鳥居。偶然にも?ほぼ夏至の日の出の方位(29度)

大王埼には今は灯台しかありませんが、灯台が建てられる昭和2年より以前、ここには現在の波切神社に関係する、重要な神様が鎮座した社祠があったのかも知れません。

近江地方のダイダラボッチ伝説

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ここで思い出すのが、滋賀県の琵琶湖地方の 大太法師(ダイダラボッチ)伝説

「大男が近江の土を運び、一夜で富士山をつくり、土を掘った跡が琵琶湖になったそうな」

近江地方でも富士山が登場します。

ダイダラボッチと富士山…

歴史の中に埋もれていた点と線が少し見えてきました。

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*1:静岡県富士宮市木花之佐久夜毘売命、このはなさくやひめ、浅間大神

*2:有名な伊勢市二見ヶ浦夫婦岩は、本来、東北方向の富士山を遥拝する岩礁の「鳥居」と考えられていました。つまり夫婦岩の中心ラインの先の富士山を遥拝します。夫婦岩のさらに沖に興玉岩(おきたまいわ)という岩礁があったそうで、二見興玉神社にその名が残ります。興玉岩は江戸期の安政地震で発生した津波で倒壊したといいます。