はじめに
古本市で出逢った #鳥羽志摩の民俗(#岩田準一 著)を手に伊勢志摩へ。伊勢神宮のお膝元ゆえ、明治の神仏分離の荒波で失われた伝承を記録する貴重な一冊 #柳田國男 #竹久夢二 #江戸川乱歩
目次
本文
古本市で出逢った「鳥羽志摩の民俗」
年に二回、春と秋に開催される四天王寺の古本市。
昨秋、出逢ったのが「鳥羽志摩の民俗」
奥付には「昭和45年配布」と記載されており、関係者に配られる限定版であったようです。
著者・岩田準一の華麗な人脈
著者は、現在の鳥羽市出身の 岩田準一(1900(明治33年)〜1945(昭和20年))
美形男子で、生涯を男色(ボーイズラブ)研究に費やした風俗研究家という異色の経歴が紹介されています。
以下Wikiも参考)東京に出て、竹久夢二 に師事し、その代作を務めるなど、夢二本人から「日本一の夢二通」と称されたほか、与謝野鉄幹・晶子夫妻 とも交流。
故郷に帰ってからは、当時、鳥羽に住んでいた 江戸川乱歩 と男色研究を通じて親交を結び、作品のモデルになったり。
一方で、郷土研究家として、柳田國男 主宰の『郷土研究』に寄稿し、当時の日本で草創期にあった 民俗学(フォークロア)*1にも傾倒しました。
伊勢志摩の民俗と伝承
「鳥羽志摩の民俗」には、戦前の昭和4年〜20年にかけて、準一氏が採集した地域の年中行事、冠婚葬祭、伝説、歌謡、衣食住の民俗事象が集落ごとに網羅されています。
聞き取り相手は、幕末〜明治初年に生まれた当時の老人たちで、現在では埋もれてしまった伝承が数多く採録された貴重な資料です。
準一氏が作成した資料は、戦時中の紙不足と準一氏の死によって、土蔵に眠ったままでしたが、
没後、二十数年を経て、息子の岩田貞雄氏が原稿を発見、翌年、1970年(昭和45年、大阪万博の年)に『鳥羽志摩の民俗』として配布された経緯。
そして、たまたま、そのうちの一冊が私の手に入ったというわけ。
伝承を追って伊勢志摩めぐり
岩田氏が収集した各地の古老の話が辞典形式で淡々と紹介された内容で、
好きなときに好きなところだけ読むことができ、たいへん便利。
例えば(昨秋の諏訪八ヶ岳訪問で)ダイダラボッチのことが気になり始めた時、もしやと思いページを繰ってみると、伊勢志摩の東側の海岸線に、複数の伝承が残されており、
これがきっかけとなって、今回の伊勢志摩めぐりとなりました。
大阪に帰って、訪問したところの伝承などをあらためて読み返していますが、
現地では案内も情報もなく『???』だった石(石神、磐座)の由緒が、二つも判りました!
伊勢神宮のお膝元、神の国・伊勢志摩は、明治期の国家神道と神仏分離政策による氏神さんの整理統廃合が激しかった地域で、無くなった神社とともに、忘れ去られた古い史跡や伝承が多く、
そういう意味で、明治以前の古老たちの話が整理された資料は、たいへんありがたいものです。
伊勢志摩めぐりの記事では、そういったお話も交えながら、紹介してゆきたいと思います。