ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【立石神社】立神の夫婦石を祀る志摩の豊玉姫伝承地のひとつ

はじめに

三重県志摩市立神の #立石神社。浅海に向いた鳥居の先に #立神の夫婦石(立石明神)志摩一ノ宮・伊雑宮の禊場(みそぎば)だったそう。御祭神は不詳ですが、志摩各地に伝承が残る #豊玉姫 ともされています

目次

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立石神社(立石明神)

(34.3017947, 136.8514746)/三重県志摩市阿児町立神2227/近鉄鵜方駅から車で約10分

立石神社

御祭神:詳しくは不明(豊玉姫(海の龍神)とされる)。夫婦石は立石明神と云われる

志摩半島南部、英虞湾(あごわん)の最奥部、リアス式海岸の静かな海辺に、立石神社は鎮座します。

明治期に近くの阿児の宇氣比神社(うけひ神社)に合祀された神社ですが、現在でも 立神の夫婦石(立石明神) を祀る御神域として残され、地域の人たちによる祭礼も続けられています。

立石神社(手前がかつての禊場)

立石神社 御由緒

立石神社は大きな夫婦石(立石明神)を祀る神社で、現在宇氣比神社に合祀されている。また、立神の地名は立石明神からきている。昔、この辺りの浜は狭くて浅く、ずいぶん奥まで続いていた。里人はこの浜をもう少し深くしようとしたが、そこには大きな石と小さな石が並び立っていた。それを取り除こうとすると大きな石が倒れた。この石を深いところに運ぼうとした時、関わった人たちが次々と倒れた。その様子の一部始終を丘の上で見ていた旅人が声をかけてきた。「皆の衆、その石は夫婦の石ではないのか。元に戻しなさい。ここから辰巳(東南)方向に滝の落ちる 表浜 がある。そこの海水と滝の水で身を清め、海水と水を持ち帰り大石と小石を清め、後々までもお祀りされよ。我は神に仕える者である。」旅人は消えるように去っていった。旅人の言う通りにすると、体調不良の者たちは朝霧の晴れるがごとく元気を取り戻した。その後、この夫婦石を清めの神様とし、縁結び、安産、子育ての神様としてもお祀りするようになったと伝えられている。古い注連縄で小束をつくり、患部をこすれば皮膚病に効能があるとされてきたのはそのためである。一月四日には、かつて志摩一円から多くの参詣人が訪れ、店等も出て「立石祭り」が行われてきた。現在は漁協権獲得記念碑を顕彰する「浜祭り」も同時に行われており、祭典後は、餅つきや六七厄年者・還暦者による餅まきなどが行われる。(以下省略)

表浜というのは、太平洋に面した大王崎の西側の海浜、かつて「大滝」と云われたあたりとされています。

豊玉姫はかつて大滝に住んでいて、後に、立神に移ったという言い伝えがあります。

立石神社 参拝

鳥居の向こうに夫婦石が見えます。

満潮の時間帯で、小石の方は水中。

「鳥羽志摩の民俗(岩田準一)」には、「昔時はこれを伊勢神宮の二見浦(夫婦岩)に擬して、磯部伊雑宮(いそべのいざわのみや、志摩国一宮)の禊場(みそぎば)としていた」と紹介されています。

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冒頭の立石神社全体の写真の海辺に面した段の低いところが禊場。

鳥居の木に、ワラで編まれた「ツボキ」。

新年一月四日の「立石祭り」に掛けられ、中にアズキ飯(赤飯)を入れて供えるそうです。

立石神社 ワラでつくられた「ツボキ」

立石神社 夫婦石(大石のみ。小石は満潮時で水中)

英虞湾は古代より天然真珠が採れ、朝廷へ献上するなどした歴史があり、真珠の話が志摩地方に色濃く残る「豊玉姫」の伝承に関係しているのかもしれません。

浜祭りの行われる漁協権獲得記念碑

案内に書かれていた浜祭りが行われる漁協権獲得記念碑は立石神社のすぐ、近く。

立神の人たちが誰から漁協権を獲得したのかというと、かの真珠王・御木本幸吉から。

真円の真珠養殖に成功し、一大産業に育てた大功労者として知られていますが、地元では養殖場となった英虞湾の漁協権を独占するなど、陰の部分もあったんですね。

漁協権獲得記念碑