ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【縄文の丘 弥生の平野】時代の画期(かっき)パラダイムシフト 雑考【止められない転換期】

例えば日本では、1万年以上続いた縄文時代から弥生時代へ、その後、古墳・飛鳥時代を挟んで、奈良時代へと時代は変わった。

それぞれの境目では、前の時代の生き方や価値観がひっくり返る大変化が起きた。

それほどの精神や文化、社会の大変化を、パラダイムシフト(paradigm shift)という。

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近年、弥生時代のスタートが紀元前1,000年説が提唱されている(右)

縄文時代(ピークの中期、5,000年前)は海が深く暖かい『海進、かいしん』の時代、人々の生活圏は主に東北日本海側の丘の上。

東北日本海側に人口が集中した原因は、直接的には約7,300年前の鬼界カルデラ破局的噴火。

この時、九州全域がほぼ壊滅、全国に分厚い火山灰が降り積り、西日本は長い低迷の時代に入った(鬼界アカホヤ地層)。

やがて全地球が寒冷化するとともに海が少しずつ浅くなって(海退、かいたい)、紀元前1,000年ごろには今ぐらいの海の深さとなる。

縄文の海だったところに海底があらわれ、そこに河川の土砂が堆積し、列島各地に平野が生まれる。

縄文の丘から降りて来た人々は、平野で稲作(水稲)を始め、桜前線のように南(北部九州)から北に向かって各地で『ムラの弥生時代』に移って行く。

なぜムラという生活文化様式ができたのかは『米づくり』を考えるとわかる。

効率的な米づくりには、始まりの「田植え」と終わりの「収穫」というボトルネックがあり、集中的な共同作業(人海戦術)が必要となるからだ。

(今はヤンマー、クボタがあるから大丈夫。笑)

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古墳時代は地質的に考えると、おおむねわかりやすい。

初期の古墳は縄文の丘、最盛期の古墳は弥生の平野、後期の古墳ほど海に近いところに造られる。

古墳時代はモノノベ氏の滅亡であっけなく終わってしまうが、ゆえに飛鳥時代は大混乱の時代だった。

それまでの祭祀・信仰の核心が消滅し、仏教が入り、新時代に向けてのトライアル・アンド・エラー。

平城京に都が遷る過程で、中央集権的な権力構造が再構築され、ようやく社会が安定しはじめるのが奈良時代

天皇を頂点とした「国のかたち、国体」ができ上がる。

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異論もあるだろうが、ざっくりと駆け足で、日本古代史の骨格を書いてみた。

私が古代妄想する時の下敷きのようなもの。

画期については、あまり複雑に考えないようにしている。

歴史の一大変化はひとつの事件・事象から起きると考えているからだ。

そこからドミノ倒しのように連鎖する。これは誰にも止められない。

常々そのような時代のターニングポイントを見つけ出し、考えてゆきたいと思っている。

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昨今の新型コロナウィルスは、次の時代へのターニングポイントになると思う。

今はうまく言えないが、一言でいえば『密から疎へ』時代が変わるイメージ。

世界も日本も、もちろん私たちの暮らしも。

今回の災厄が過ぎた後に起きる大変化の流れは、もう誰にも止められない。

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パラダイムシフト

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