はじめに
琵琶湖の北 #竹生島 に近い湖域で、底引き漁で偶然に引き揚げられた #葛籠尾崎湖底遺跡 の土器などを展示する資料館。例えば #縄文時代(早・前・中・後・晩期) 。約一万年前から連続して各時代の遺物が湖底で発見される理由は謎
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葛籠尾崎湖底遺跡資料館(見学には要事前予約)
琵琶湖に浮かぶ 竹生島(ちくぶじま)を調べていて、この資料館を知りました。
(35.44927903891411, 136.19165210985253)/滋賀県長浜市湖北町尾上162/資料館前に駐車スペースあり(JR北陸本線 「河毛」 下車 徒歩 85分😧)
湖北町尾上の住民の方々がボランティアで運営しているため、見学には事前予約が必要です。
下記リンク先のお問い合わせ先(長浜観光協会)から予約することができます。
琵琶湖の湖底遺跡について
資料館パンフより要約①)滋賀県内の約3,000の遺跡のうち、琵琶湖や内湖の湖底にある約90ケ所を 湖底遺跡 と呼びます。これらは、現在の平均水位よりも2~4メートル低かった、縄文時代~平安時代の琵琶湖の水辺の集落等が、後の水位の上昇によって水面下に沈んだものと考えられます。しかし、このような水位の上昇では理解できない湖底遺跡が、葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡 です。
ちなみに内湖とは、かつて存在した、または現存している琵琶湖畔の小湖のことで、その多くが近世以降の干拓により失われました。
葛籠尾崎湖底遺跡
展示写真の手前の尾上(港)から、沖の竹生島(左)~葛籠尾崎(右の半島)を結ぶラインまでの湖域。
湖底模型に示されているように、水深60メートルに至る湖底斜面から、縄文時代~弥生時代の土器が多数、引き揚げられています。
葛籠尾崎湖底遺跡 縄文時代
一度では紹介しきれませんので、まず、縄文時代の資料(遺物)から。
縄文早期(約1万年~6000年前)・前期((約6000~5000年前))・中期(約5000~4000年前)・後期(約4000~3000年前)・晩期(約3000年~2300年前)の資料(遺物)が時系列に展示されています。
資料館パンフより要約②)大正13年(1924)の暮れ、尾上の漁師が、水深10~70メートルの一帯でイサザ漁(琵琶湖固有種のハゼの仲間、底魚)をしていたところ、縄文・弥生土器2個、土師器2個が網に掛かりました。この後、縄文時代早期~平安時代の幅広い年代 の土器の他、鹿の角などが引き揚げられ、その数 140点 にのぼりました。水中にあったおかげで風化がほとんど見られません。葛籠尾崎湖底遺跡の土器は、湖底の土中に埋没せず露出しています。