ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【余呉湖】空と雲と山稜を湖面に映し出す鏡の湖

はじめに

琵琶湖北東 #賤ケ岳 麓の #余呉湖。一年を通して波静かな湖面に、空と雲と山稜を映し出す様から #鏡湖 とも称されます。周囲6.4キロ。#菊石姫の伝承

目次

本文

余呉

戦国時代、羽柴秀吉柴田勝家賤ケ岳(しづがたけ)の戦い で有名な賤ケ岳(標高422m)のふもとに広がる静かな湖。

余呉湖・賤ケ岳ハイキングコース案内(余呉湖ビジターセンター前)※南北逆転に注意

賤ケ岳合戦図

余呉湖畔に、前回記事で紹介した菅原道真公のお母さんの伝承もある天女の像。

www.zero-position.com

賤ケ岳湖畔の天女の羽衣の像

天女の羽衣像近くの記念碑

余呉湖一周(ヨゴイチ)

余呉湖は 鏡湖 と云われるほど波静かで、湖面に空の景色を映し出します。

余呉湖(ビジターセンター近く)

琵琶湖一周(ビワイチ)は体力と泊りがけが必要ですが、一周6.4キロメートル余呉湖はウォ-キングやランニング、ハイキング、ツーリング、短時間ドライブに最適です。

面積約2平方キロメートル、最大水深13.5メートル、平均水深7.4メートル(Wikiより)

北野神社近く。川並から余呉湖をのぞむ

川並の北野神社近くの高いところに(もうひとつ)稲荷神社。

北野神社近く(川並)のもうひとつの稲荷神社

水田と余呉

菊石姫の伝承が残る蛇の目石

石碑文字起こし)仁明天皇*1のころ、この地に住む領主 桐畑太夫 に菊石姫という娘があった。姫はある年、干ばつに苦しむ村人を救わんと、余呉湖に身を投じ、蛇身となって雨を降らせた。もう人間にもどれぬ娘は、長年世話になった乳母へ、疫病の薬にと蛇の目玉を抜きとり、湖中から投げ与えた。目玉は石の上に落ち、その跡を残したので、以来、この石を「蛇の目玉石」という。また姫が枕にして、しばし休んだといわれる「蛇の枕石」は、南側にある椎の老木下の湖中にある。干ばつの年、この枕石を地上に上げ、雨を乞うと、不思議に雨が降ると伝えられる。

桐畑太夫。ここでも登場していますね。(前回、北野神社の記事を参照)

「蛇の目玉石」近く。「蛇の枕石」が沈むとされる椎の老木

訪問時、アジサイ園は青い葉っぱだけ。早すぎました。(訪問は先週土曜日。今週末からアジサイ園は見ごろを迎えるそうです)

余呉アジサイ園近く

アジサイは早すぎましたが、こちらは遅すぎました(汗)。二枚目写真、樹の根元あたりの茶色く映っているのが枯れたサワオグルマ。

余呉湖 サワオグルマ群生地

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*1:第54代。810年〈弘仁元年〉ー850年。嵯峨天皇の男子。淳和天皇の次代