はじめに
四条烏丸に近い商住地 #菅原道真 公の産湯の井戸があり、太宰府への出発前に #東風吹かば の歌を詠んだお邸跡。#菅大臣神社。南の #白梅殿、北の #紅梅殿(北菅大臣神社)
目次
本文
菅大臣神社(白梅殿)
産湯の井戸は、南側の高辻通の鳥居から参道の途中、右側に施錠された門柵の向こう。知らないと見落としてしまいます。格子の間から撮影。
御祭神:菅原道真公・尼神(アマガミ)・大己貴命(オオナムチノミコト)
(35.00089013245499, 135.7560457644684)/京都市下京区菅大臣町187/四条烏丸交差点から徒歩10分弱/境内に駐車スペースはありません(京都市街中心地のため近隣の有料駐車場を利用)
菅大臣神社は先日紹介した五条天神宮の近く(200m)。京都市内の通りの数え歌(東西)でいうと仏光寺通~高辻通、南北の西洞院通りの交差するところに鎮座しています。
御由緒)社地は約一千年前、天神様すなわち菅原道真公(845-903)の紅・白梅殿というお邸や、菅家廊下(かんけろうか)と称する学問所の跡で、また公誕生の地と伝えられ境内には 産湯の井戸 が保存されている。仏光寺通を中心に南北二町、東西一町が当時のお邸で、公、大宰府へ左遷にあたり、東風(こち)吹かば におひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ と詠まれた飛梅の地である。神社は公没後間もなく創立されたが、度々兵火にかかり、鎌倉期に南北両社にわかれ、当社を天神御所・白梅殿社、北社を紅梅殿社 と呼んでいた。応仁の乱後、慶長19年に菅家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王により再興され今日に至っている。この間、天明の大火、天治の兵乱で再度焼失するが、現本殿は、天保6年(1835)造立の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という下鴨神社の旧殿を、明治二年に移築し、その後、幣殿を建立して、いわゆる八棟造をなしている
狛犬さんが三組。
菅大臣神社(白梅殿) 境内 三方向の鳥居
南鳥居 の高辻通は右。西洞院通(手前)からの 西鳥居と表参道、仏光寺からの 北鳥居 があります。
本殿前の左(北)に老松社と火御子社、右(南)に福部社と白太夫社、計四社が並んでいます(摂社、図会参照)
いずれも道真公に由縁のある人物や神様が祀られており、また、北野天満宮にも見られる四社の配置です。
境内図(図会)では老松社にニャンコ。近づいて行ったら『なんや、このオッサン!』という迷惑そうな顔をされました。
北菅大臣神社(紅梅殿)
北鳥居を出て仏光寺通を渡って路地を北にしばらく行くと、紅梅殿といわれる北菅大臣神社が住宅地の中に鎮座しています。
こちらも菅家のお邸跡で、道真公の父上・是善を祀っています。
道真公が太宰府に左遷される時、『東風吹かば・・・』の歌は、紅梅殿で詠まれたとされています。