奈良市 #率川神社 二回目。境内の様子と卒川阿波神社(御祭神:事代主神)。中殿の #媛蹈韛五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)を父神(狭井大神)と母神(玉櫛姫命)が見守る姿から #子守明神 とも。本宮 #大神神社 の #三鳥居 を彷彿とさせます
目次
本文
率川神社(いさがわじんじゃ、率川坐大神御子神社)
前回(6月17日)は、年に一度の三枝祭(さいのくさのまつり、ゆりまつり)を紹介しましたので、今回は参拝と境内の様子を。
御祭神:【中殿】媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと、初代神武天皇の皇后)、【左殿】狭井大神(御父神)、【右殿】玉櫛姫命 (御母神)
当神社は推古天皇元年(593年)大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によって創祀した奈良市最古の神社であります。父母神が御子神を両側から見守るようにして鎮座奉斎していることから 子守明神 と称えられ安産・育児・息災延命の神様として篤い信仰を集めております。例祭の三枝祭は御祭神に縁の深い笹百合(ささゆり、古名:さいくさ)の花で白酒(しろき)・黒酒(くろき)の酒樽を飾ってお祀りするところから付けられた名前であり、大宝令(701年)に国家の祭祀として定められている古式ゆかしい神事で、疫病厄けの祭りとして今に受け継がれ「ゆりまつり」の名で知られています(以下略)
絵馬に描かれた大神神社の三鳥居の意味
左が媛蹈韛五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)と神武天皇の出逢いでしょう。姫御子(ヒメミコ)が旦那様になる王君に「ささゆり」を差し上げてますね。
右は三枝祭の巫女舞い。
「父母神が御子神を両側から見守るようにして鎮座奉斎していることから子守明神と呼ばれた」という御由緒の言葉が、三鳥居そのものをあらわしているように思います。
境内の様子 率川阿波神社
その形からカエル石と云われる、かつての磐座?
今では「お金がかえる」「幸せがかえる」「若かえる」「無事かえる」(案内板より)として、撫でるとご利益があるとされています。
さすが大神神社の摂社ですね。遥拝所がありました。
手水舎 の龍口は「ささゆり」の花。さすがのこだわり!
境内の率川阿波神社(いさがわあわじんじゃ)は中央。御祭神は 事代主神(ことしろぬしのかみ)つまり、えびす様。
社伝では宝亀二年(771年)藤原是公が夢のお告げで阿波国から勧請したといいます。
なお、出雲伝承(口伝)の系図(出雲と大和のあけぼの、絶版)では、媛蹈韛五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)は、出雲の事代主を父に、三島(現在の大阪府茨木市、弥生時代、淀川北岸一帯に栄えた出雲の都市国家のひとつ)の玉櫛姫を母とした、娘とされています。
つまり、率川神社【左殿】の御父神・狭井大神(さいのおおかみ)は、(なんと!)出雲の事代主(ことしろぬし)ということになります。
今は小さな祠ですが、境内の率川阿波神社を創祀した藤原是公は、古い時代の事情をよく知っていて、御祭神の父神を、特別に勧請した可能性があります。