ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【東大谷日女命神社】畝傍山の東山麓 橿原神宮の北に鎮座するヒメミコの社

はじめに

橿原神宮の北に鎮座する #東大谷日女命神社。昨日「葛城山麓から畝傍山-三輪山」の眺望を紹介しましたがその流れで #姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ)を御祭神とする #畝傍山 東山麓の当社に去年秋、お詣りしていたので報告

目次

本文

左)「葛城山麓から畝傍山-三輪山」の眺望、右)畝傍山山頂から葛城金剛(葛城の大鴨)方面

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東大谷日女命神社(ひがしおおたにひめみことじんじゃ)

東大谷日女命神社(ひがしおおたにひめみことじんじゃ)

(34.491400280057434, 135.7868103733049)奈良県橿原市山本町 橿原神宮駐車場から徒歩で約10分(神宮の北側。畝傍山山頂への登山道からアプローチ)

御祭神:姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ)(イスケヨリヒメ/ホトタタライスズヒメなど)

初代神武天皇(イワレヒコ)の皇后で、第二代綏靖天皇(カムヌナカワミミ)とカムヤイミミ(神八井耳)兄弟の御母上で、三輪山麓・狭井川のほとりの出雲屋敷 に住まいしていたと伝えられる姫巫女(ヒメミコ)です。

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狭井(さい)とは、初夏に艶やかな花を咲かせる山百合(やまゆり、ササユリ)のことで、姫蹈鞴五十鈴姫命を象徴する花として、大神神社(おおみわじんじゃ)では重要視されています。

東大谷日女命神社 左)鳥居近くの陽石?、右)石段の向こうに拝殿

東大谷日女命神社 境内と御由緒

東大谷日女命神社 拝殿

御由緒・拝殿の案内より)当社の創祀は不明であるが徳川時代においては氏神・熊野神社として明治十一年頃まで熊野権現をお祀りされていた。そのころの祭神は伊弉册尊だった。 明治二十年(1887)頃から、当社を(延喜式神名帳に記述された)式内社・東大谷日女命神社とし、祭神を神功皇后へと変えたが、その後、姫蹈鞴五十鈴姫命に再度の変更。社名を東大谷日女命神社に変更した(明治三十五年(1902))

明治期に醸成された皇国史観の影響か、時代が落ち着いた明治中期ごろから、御祭神が二度も変更されるという紆余曲折があったようですね。

東大谷日女命神社 狛犬

東大谷日女命神社

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ヤマユリ(2021年6月、生駒山で撮影)

ヤマト創世記の後半 神奈備の #三輪山 #狭井坐大神荒魂神社(#狭井神社)#花鎮社 #サイノカミ #やまゆり #出雲屋敷 #媛蹈鞴五十鈴姫命 #ひめたたらいすずひめのみこと

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