はじめに
前回の続き。三輪山から流れ下る #狭井川 は #山の辺の道 の #月山日本刀鍛錬道場 のところを横切ります。川べりの #大神神社 案内には、御祭神・大物主神の姫御子 #イスケヨリヒメ と #出雲屋敷 の伝承が書かれています #桜井市茅原
目次
本文
三輪山麓の狭井川の流れ
昨日のより、西の山の辺の道の方に拡げた地図です。
三光の滝に向かう山道(進入禁止)の行き止まりのところで、三輪山頂からの狭井川(さいかわ)が流れていましたが、この狭井川は、月山日本刀鍛錬道場のすぐそばを、西の方へ下って行きます。
狭井川の出雲屋敷とイスケヨリヒメ伝承(大神神社)
写真は以前、紹介したことがある大神神社の狭井川の年季の入った案内板です。
文字起こし)当社の御祭神・大物主神の御子・伊須気余理比売命(いすけよりひめのみこと) の御住居は狭井川のほとり、この地域にあったと伝える(古事記) 狭井とは山百合のことであり、初夏には一帯に可憐な花を咲かせる。またこの地は古来より「出雲屋敷」といわれ、我が国の建国にかかわる極めて重要な場所である。大神神社
『我が国の建国にかかわる極めて重要な場所』と書かれているように、イスケヨリヒメ(古事記)は、初代・神武天皇(イワレヒコ)の皇后で、二代目の綏靖(すいぜい)天皇(カムヌナカワミミ)の御母上。
ヤマト創世の古代史(弥生時代)において、重要人物の一人で、彼女の宮が出雲屋敷と称されていました。
なお、イスケヨリヒメは、古事記では後にヒメタタライスケヨリヒメとされ、一方、日本書紀ではヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛)とされ、古代製鉄(刀剣)および銅精錬(銅鐸=鈴)を暗示するタタラの名を持つ姫様です。
出雲屋敷
そのタタラの姫の伝承地に、現在も刀鍛冶を続ける月山日本刀鍛錬道場、というのもこの一帯の奥深さ。
水が豊富な場所で、古代の金属精錬が発展します。
狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす
道場から山の辺の道を歩き、山辺の道花もりの手前、三輪山の方に上がる道があり、(はじめて)行ってみました。
上の方は、田畑とばかり思いこんでいましたが、一角に柿の樹が植えられていただけで、広い湿地帯。歩くとズブズブするところがあります。
このあたりは桜井市茅原(ちわら)といいますが、今でも湿潤なこの地は、古い時代、茅(かや)の原が周囲に広がる大きな水源地だったのでしょうか。
広大な湧水地のトライアングルイメージを描いてみました。
三光の滝を頂点としたトライアングルエリアの広がりの中に、山ノ神遺跡磐座ともうひとつの磐座、それに水の祭祀にかかわる神社(狭井神社、市杵島姫神社、貴船神社、龗神神社)が点在しています。
地図の青いマークのところで、スマホでぐるりと動画撮影。
山の辺の道から山側、少し高いところの広大な湿地帯。柿の樹はあるが、現在は田畑ではない不思議な空間。このあたりが #イスケヨリヒメ(ヒメタタライスズヒメ)の #出雲屋敷 だったのかも知れない
— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2022年3月19日
動画)三輪山→山ノ神遺跡方向(最初のホーホケキョあたり)→狭井神社方向(最後あたり) pic.twitter.com/d0GJDVgLL5
イスケヨリヒメの出雲屋敷には、十分な広さと水量ですね。
三輪山は、おおむね花崗岩質で亀裂からの地下水脈ができやすく、このあたりで伏流水がじわじわ湧き出していると考えられます。
ここから大和盆地の方に下って、箸墓古墳のある纒向(まきむく)へと繋がってゆきます。
稲作弥生時代の祭祀空間は、多くが水源地に集中します。