はじめに
神社の由緒や御祭神の名、そして #古事記 #日本書紀 にも #方便としてのウソ は混ざります。一方で #偽書 とされる史料のホント。そういったことを少し考えてみました。#先代旧事本紀 #東日流外三郡誌
目次
本文
森と共に命が生まれ、言葉が生まれ、やがて思想が育つ。
本当の事しかなかった世界に、嘘が生まれた。
以前紹介した朝倉さやさんの『最上川舟唄』の映像に流れている詩の一説。
縄文時代の「森」から。。。たった数行に濃縮された歴史観です。
神社の由緒や御祭神、神話
神社にはそれぞれに由緒(書)がありますが、どんなに古くても古墳時代(西暦300年ごろ)から後のものと思われます。
古い由緒は、多くが伝承(口碑)に基づいて書かれたものである以上、「ウソ(方便)」も混じった「ホント」のこと、というのが私の由緒書に対する基本的なスタンスです。
その時代・時代の人々の思想が、幾重にも折り重なり、積み重なっています。
「ホント」のことを探すために、関連する(しそうな)史跡も訪れて、機会があれば、出土品を見学し、考古資料を読んで考えます。
日本神話は古事記に基づくものが多いですが、後述のとおり、古事記は飛鳥~奈良時代の編纂。したがって(出雲神話は別として)この時代に、シルクロード経由の話をモチーフに創作されたものも多いと思われます。
古事記や日本書紀
いずれも第40代天武天皇の時代に構想され、紆余曲折、第41代・持統女帝の時代を経て、古事記は第43代元明女帝、日本書記は第44代元正女帝の時代に成立しました。
女帝が続いた時代に成立したことは意外に知られていません。
よく 勝者の歴史書 と言われますが、成立まで20~30年もかかった理由は、当時の各勢力の利害調整に時間がかかったからで、勝者には勝者たちの事情や都合があった からです。
なにせ、ようやく均衡した各古代勢力の履歴書みたいなものですから。
(この点は徳川幕府の求めに応じて、各大名が『源平藤橘、げんぺいとうきつ*1』のいずれかに始祖を置いた家系図を苦労して作った歴史に通じます)
そのような成立の経緯から考えて、相当の「ウソ(方便)」が含まれます。
特に、直接の利害が絡む、生々しい、直前の飛鳥時代の話にはウソが多いと考えています。
例えば蘇我氏。いなかったという前提による考察は、歴史的大事件の真犯人は誰か?に繋がります。
先代旧事本紀、せんだいぐじほんき
古代からの歴史書(通史書)には、歴史家や考古学者の大勢から『偽書』と判断されるものが存在します。
古代の物部氏(尾張氏)の歴史書とされる『先代旧事本紀、せんだいぐじほんき』は、その代表的なものです。
ただし、その内容と符合することが多い「海部氏勘注系図、かいふしかんちゅうけいず、籠神社所蔵(京都府宮津市)」は国宝。中には「ホント」のことが書かれている可能性があるのです。
そういう事情から、専門家の中には「クセのある史料で解釈に注意」といった注釈をつけて引用されるケースも見受けられます。
なお、当ブログの「物部さん・考」のカテゴリーでは、今までのところ、先代旧事本紀を参考に書いたものはありません。特に史料を否定しているわけではなく、ただ、自分で考えたこと、書きたいことを書いているからです。
東日流外三郡誌、つがるそとさんぐんし
偽書はたくさんありますが、その代表格は「東日流外三郡誌、つがるそとさんぐんし」でしょうか。
陸奥・津軽の古代史を書いたもので、江戸期の秋田氏が江戸幕府に提出した系図はこれに基づいていると伝えられます。
(秋田氏の先祖は安部・安東氏。蝦夷(えみし)の末えいで、安部氏の始まりはヤマト地方。ナガスネヒコまたはその兄、という驚愕の内容)
伝承中にダーウィンの進化論を前提とした記述(サルからヒトへ)があるなど、明らかに後世(明治期以降)に手を加えられた形跡があり、その意味では偽書といってよいでしょう。
ところが、手を加えられる以前からの内容(ヤマトとのつながりも含めて)もあり、そういう部分には、歴史学的・民俗学(フォークロア)的に貴重な、解明の手がかりとなるものが含まれている可能性があります(アラハバキ信仰など)
当ブログで津軽地方を紹介していますが、そういった部分に関連してのことです。
古代連想のやちまた カテゴリー
先日紹介した多賀城市の荒脛巾神社の二重祭壇や二荒神の意味。古い信仰のアラハバキや道祖神などの「複雑な」繋がりを考えてゆくうえで、手始めに 去年夏の記事をリライト(リンク) しました。あわせて新カテゴリーをつくりました。
オヤジギャグ的世界ですが、いわば、言葉の転訛(シャレと同じ)で、同じ信仰が各地に違ったカタチで浸透していった側面があります。
世にレイラインといわれるものも含めて、テーマにしてゆきたいと思います。