はじめに
先日紹介した#多賀城市 #荒脛巾神社 の二重祭壇や #二荒神 の意味。古い信仰 #アラハバキ と #道祖神 などの「複雑な」繋がりを考えてゆくうえで、手始めに去年夏の記事をリライト。#古代連想のやちまた カテゴリー追加
目次
本文
やちまた(八衢、八岐、八街)
縄文時代の集落をつなぐ道は、ほとんど山道。
海が深い時代で、平野は少なく、川岸の段丘に沿って、山のふもとや山中の、細いハイキングコースのような道しかありませんでした。
歩いてゆけば道は枝分かれ。すべてをたどってゆけばたくさんの道とつながり、最後には列島全体に広がってゆく。
縄文集落はこのネットワークで繋がり、想像以上にダイナミックなヒトとモノの流れがあったと考えられます。
遠く離れた場所で、よく似た土偶や土器、石器が見つかるのは、陸と海の交易路ができていたから。
道は、四方八方「やちまた」にひろがり、津々浦々を繋ぎ、人々が行き来し、お互いに必要なモノを交換し合います。
道を間違ったり、迷わないよう、道標を造ります。
下鴨・河合神社内 衢社(みちしゃ)
御祭神:八衢毘古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)
サイの神(塞、幸、狭井)、道祖神
「八衢」または「八岐」とも書き、道(衢)が分岐する様子。
それは「クニやムラの境界」に繋がってゆきます。
境界は、防御の 塞 である一方、他所からヒトやモノがもたらされる 幸 でもありました。
例えば、奥明日香の網掛け神事(カンジョ神事、女綱と男綱の一対)は「塞と幸」に関連したものと考えられます。
際 には先祖の墓が置かれ「サイ 狭井 の神」「猿田彦(鼻高神)」がいて、それがやがて「道祖神」、さらに後世には「庚申さん」の信仰へと変化します。
ちなみに鼻高のサルタヒコ(男神)はやちまたでアメノウズメ(女神)と出会います。
分岐の「岐(ちまた)」は「くなど、くなと、ふなど」などとも読まれたらしく、転じて「熊野」になったと云われます。
道のクナト(熊野)の神はこの国でもっとも古い神様のひとりです。
八岐大蛇
ヤマタノオロチ。本当はヤチマタノオロチでしょうか。
山道は大蛇のようにクネクネしているイメージ。
有名な神話も「八岐」の意味を考えながら読むと。
古代の妄想、謎解きが止められないのは、こういうところです。
「やちまた」は子孫繁栄のシンボル
道がひろがってゆく様子は、一族が繁栄する姿に似ています。
宗像大社の御祭神・三女神は 道主貴(みちぬしのむち) と尊称されています。
公式には「海の道」が由緒ということで、その辺はHP(道主貴)をご覧いただくとして、個人的にはご神紋が気になります。
「貴(むち)」は「持(もち)」と同義で所有をあらわすと考えると、
三女神の三枚の楢(なら)の葉に描かれた葉脈は家系図にも見え、子孫繁栄の「道」を表しています。
三枚の葉の根元(交点)がやちまたで、宗像大社では楢の実(ドングリ)が描かれています。
ドングリは縄文以来の樹。
これに限らず、葉紋の葉脈は多くの神紋・家紋に描かれています。