ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【深江稲荷神社】大和の笠縫氏が摂津に移住。すげ笠づくりで栄えた街

はじめに

古代の大和 #笠縫氏。おそらく古墳時代摂津国・笠縫島(大阪市東成区)に移り住む。子孫は湿潤な地に水路を引きスゲを栽培。江戸期にすげ笠づくりが盛んに

目次

本文

深江稲荷神社大阪市東成区)

(34.66987550078414, 135.56069773153666)/大阪市東成区深江南3丁目16/大阪メトロ千日前線新深江駅から徒歩10分、近鉄大阪線・布施駅から徒歩15分

御祭神:稲倉魂大神(うかのみたまのおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天鈿女大神(あめのうずめのおおかみ)

深江稲荷神社 御由緒

一部文字起こし)垂仁天皇*1の御代、笠縫(かさぬい)氏の祖 が摂津國東生郡 笠縫島 の宮浦の地(今の深江南3丁目)に居を定め 下照姫命を奉仕したのが始まり とされ、その後、元明天皇*2和銅年間に山城国稲荷神社*3の御分霊を勧請したと伝えられます。(以下略)

深江稲荷神社 御本殿

御由緒中に、たいへん興味深いことが書かれています。

笠縫氏はもともと大和盆地の東、三輪山山麓、茅原(ちはら)の倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)付近に居住していたものと考えられますが、その後の氏族の消息は不明・・・

でしたが、どうやら、その後、集団で摂津國に移住したものと考えられる内容です。

深江稲荷神社は、笠縫氏の祖が下照姫(出雲の姫神)を奉祀したのが始まりということです。

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御由緒には書かれていませんが、鋳物の街・深江らしい鋳物御祖神社。

御祭神は天津麻羅命。古事記に登場する鍛冶・製鉄の神様です。

鋳物御祖神社

案内がないため詳しくわかりませんが、二つの社は、御由緒に書かれた天津社と笠縫神社、あるいは祖霊社、のいずれかでしょう。

深江稲荷神社 摂社 末社

この祠はお稲荷さん風。御食津神社(榎稲荷神社)でしょう。

深江稲荷神社 摂社 末社

すげ笠づくりの街

一帯は古代河内湖の沿岸部に位置する湿潤な地(笠縫島)で、古い時代から集落の周囲に水路を引いて、すげ(菅)を栽培し、江戸期には すげ笠づくり が盛んであったとのこと。

深江稲荷神社

すげでつくったしめ縄

深江菅田保存会が管理する菅田と栽培されているスゲ(深江郷土資料館前)

境内隅に明治十八年の洪水記念碑。

案内板に当時の洪水地域が描かれていますが、大阪城のある上町台地の東に、古代河内湖沿岸が現れています。

ちなみに、地図に見える渋川郡古墳時代、ものづくりの物部氏が本拠としたところ(古代河内湖のウォーターフロント

(境内)明治十八年の洪水記念碑(赤丸が深江稲荷神社

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*1:第11代天皇崇神天皇の次代。元伊勢の旅をした倭姫命の御父上

*2:第43代天皇藤原京から平城京へ遷都した奈良時代の女帝

*3:伏見稲荷大社か?