上賀茂神社 #立砂 と眷属 #ヤタガラス(#八咫烏)の謎。あらためて上賀茂一帯を歩き、弥生時代に始まる古代 #山背 #鴨縣主(かものあがたのぬし、大和から移住した鴨族)の信仰について考察 #源頼貞 #藤原俊成 #紫式部
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上賀茂神社、立砂が二つの謎
前回、上賀茂神社(賀茂別雷神社、かもわけいかづちじんじゃ、賀茂別雷大神)の立砂とヤタガラス信仰について少し書きました。
立砂 は、上賀茂神社の北、約2キロにある三笠型の御神体山・神山(こうやま) を表すとされますが、
神山は一つの峰のお山。
現在の南北の祭祀ライン上には御生山(みあれやま?、丸山)があるので、セットで表しているのだろうかと考えていましたが、上賀茂神社からは視野が重なるため、二山には見えにくいでしょう。(画面中の神官跡も含めて御生山はゴルフ場の中にあり部外者は参拝できません)
京都の鬼退治で有名な源頼光(よりみつ「みなもとのらいこう」で知られる)の弟で、養子になった源頼貞(よりさだ)が神山を詠んだ歌(新拾遺和歌集)
この歌は立砂のことを詠んでいます。
水鳥の 加茂の神山さえ暮れて 松の青葉も 雪降りにけり
「松の青葉」から、神山つまり立砂に雪が降る情景を詠っていることがわかるからです。
(今回撮影時には松の葉は立てられていませんでしたので、以前の写真から)
ちなみに、向かって左が三葉で「男神」、右がニ葉で「女神」であると推定されます。
下鴨神社の御祭神(賀茂建角身命、玉依姫命)とも考え合わせて、親子神あるいは夫婦神と考えられますが、さて、どちらかはわかりません。
実は先に紹介した、現在、上賀茂神社が神山としているお山は、古代の鴨(賀茂)族*1が信仰した神山とは異なるとする説が根強くあります。
私自身は、そのことにずっと疑問を抱いていて、数年ぶりの上賀茂ウォーキングで、新たに調べて理解したことを、以下、紹介します。
浮かび上がる、弥生時代・鴨(賀茂)信仰の「鴨の山」のスガタ
まずは国土地理院の地形図でお伝えしたい情報をまとめました。
上賀茂神社の東、大田神社*2のカキツバタ群落地は、深泥池(みどろがいけ)と関連する湿地帯で、上賀茂一帯は、巨大な湧水地帯であったこと、
古代から、宅地化する戦前まで、豊かな農耕(稲作)地帯であったことがわかります。
上賀茂一帯は、現在でも住宅地の中に散在する農地で 上賀茂野菜 をつくり続けています。
北側の丘陵(三山)はいずれも150〜160メートルの低山で、今では宅地のすき間からようやく見える程度ですが、古社が守る丘陵地がかつての信仰の中心地「鴨の山」「ヤタガラス」であった『カタチ』が浮かび上がってきます。
真ん中を頭、左右の丘陵を両翼に見立てます。
藤原俊成が、大田の沢(カキツバタ群落)で詠んだ歌は、大田神社の後背の山を「神山」と詠んだ根拠になります。
神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ
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上賀茂神社の奥、紫式部がたびたび参拝したことで知られる片山御子神社(片岡社、玉依姫命)が、なぜ「片山・片岡」と呼ばれたのか?
「鴨の山」「ヤタガラス」の片羽根であることから、そのように呼ばれたことも理解できますね。
賀茂にまうでて侍りけるに、人の、ほととぎす鳴かなむと申しけるあけぼの、片岡の梢おかしく見え侍ければ、
ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし(新古今和歌集 巻第三 夏歌)
次回に続きます。