はじめに
京都上賀茂 #深泥池貴舩神社 は #旧鞍馬街道 沿いに鎮座。江戸期の寛文年間に #貴布禰総本宮貴船神社 の水神(高龗神)を分霊して創建。境内には火神(火之迦具土)の秋葉神社。御由緒に #京つけもの #すぐき漬け の発祥の経緯 #深泥池 #役行者 #トンボ
目次
本文
深泥池貴舩神社(京都市北区上賀茂深泥池町)
(35.05960378535724, 135.7662354470807)駐車場なし。京阪(叡山電鉄)出町柳駅からバス(市営バス4系統・深泥池よろ徒歩10分)
御祭神:高龗神(たかおかみのかみ)、弥津波能売神(みずはのめのかみ)
御由緒)深泥池の旧鞍馬街道には保元二年(1157)に京の六地蔵の一つ。御菩薩池(みどろいけ)地蔵(現鞍馬口地蔵)が祀られ、室町時代には関所が置かれていた。当神社の御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)と申し上げ、雨水を司る龍神で、古くから鞍馬山麓の貴船に鎮座せられる貴船神社の分社として、深泥池の農民によって、勧請したものである。貴布禰総本宮貴船神社は平安遷都より、皇居の御用水と人々の生活用水や農業用水である賀茂川の水源にあたる所から川上神(弥津波能売神(みずはのめのかみ))と水を司る高龗神が御祭神として朝野の尊崇が篤く、洛中からの参拝が絶えなかった。しかし、本宮への参詣に遠くて大変だったので、寛文年間(1600~70年頃)の十月二十三日に御分霊が行われ、街道筋の当地に鎮座され、農耕をはじめ、住民の安寧、除災招福の守護神として信仰され、今日に至っている。深泥池貴舩神社奉賛会
本殿奥の石段を登ってゆくと、高下駄で膝小僧を見せる役行者(えんのぎょうじゃ)の石像。
隣(右)に並んで座っている仏様(菩薩?)の像容は初見で、具体的にどなたなのかわかりません。
境内 すぐきの神様・秋葉神社
御祭神:火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおみかみ)
御由緒)昔みぞろが池は、七つ森七軒村と云われ一番森を「消し山(けしやま)」と称し、火伏(ひぶせ)の秋葉神社が一二〇〇年前から祀られていましたが。ところがこの神社が神仏混交である事を因として、明治の廃仏毀釈の令により、賀茂社の社家が社を打ち壊しました。翌年の三月春、修復を怠った村に大火が発生し家財農具も一切が焼失しました。失意の村人たちが焼け跡を整理していると、どの家の跡にも漬け物桶だけが焼けながら中身が焼け残っていました。疲労と空腹に耐えていた人々がその漬け物をあけると「あっ、火が入っている、いい匂いがする」と村の長が漬け物の茎を一本試食しましたところ「酸い茎や」((スッパイくきや))と云いました。これが「すぐき」発祥の歴史であります。火の神である秋葉神社の神様が私どもに罰を与えると共に、反省を求め、清明の根源である酵素の漬け物を恵み賜ったのであります
【過去記事(2019年秋):深泥池(みどろがいけ)のすぐき菜とすぐき漬】
深泥池 とんぼ
同行の三男が深泥池(みどろがいけ)に行ってみたいということで、先日に続き再度、行きました。
深泥池は多種のトンボの生息地としても有名です。写真は三男。私のスマホではムリ!( ´∀`)
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(全54話完結)
【2020年12月~2021年5月、連載完結】