はじめに
葛城山で #雄略天皇 と出会った #一言主神 が土佐に流された霊験譚。古墳時代の #葛城鴨族 の衰退に代わる天皇の権威の拡大を象徴 #ワカタケル #葛城一言主神社 #ムクロジ
目次
本文
葛城一言主神社 境内案内
続きです。
葛城一言主神社境内には本殿に向かって左の社務所前に樹齢650年の無患子(ムクロジ)の古木。
秋の実から数珠や羽根つきの玉がつくられるほか、実から泡立ち成分(サポニン、天然の界面活性剤)が採れるので、石けんやシャンプーとしても利用されます。(道明寺の記事に詳細)
日本書紀完成千三百年を祝して、雄略四年(460年)の霊験譚に基づき建立(2004)された雄略天皇像。
【一言主大神と葛城山での遭遇】雄略天皇が狩猟で葛城山に入り(案内より)
日本書紀:葛城山にて背の高い人が見え、天皇に容貌が似ていた。天皇は神だと思ったがそれでも問いかけた「どこの公主か」。背の高い人は答えて言った『現人神(あらひとがみ)である、先に王が名を名乗れ』「朕は幼武尊(ワカタケルノミコト)である」『私は一言主神である』
古事記:天皇曰く「この倭の国に私を除いて王は居ない。誰が私と同じ身なりで行幸しているのか」「互いに名乗りて、後に互いに矢を放たん」。一言主大神これにこたえて曰く『私が名を問われたため、先に名を告げよう。吾は悪事も一言、善事も一言、言はなつ神、葛城の一言主の大神である』。天皇畏み(かしこみ)曰く「恐れ多い、わが大神。神が御身をお持ちだとは、さとれず」
そして、二人はともに日が暮れるまで狩猟を楽しんだ後、神は天皇を見送ったという話。
しかし、それだけでは終わりませんでした。
(釈日本紀しゃくにほんぎ。日本書記の注釈書より)時に神、天皇と相争い、不遜の言あり。天皇おおいに怒り、土佐に移し奉る
一言主神が不遜な発言をしたことに怒った雄略天皇が、神を土佐に流してしまうという話が伝わります。
どのような発言かはわかりませんが、一言 多かったんでしょうか。
符合するように高知には、高知一之宮・土佐神社(御祭神:一言主神、味鋤高彦根神(アジスキタカヒコネ))が鎮座しています。
役行者(えんのぎょうじゃ)にセッカンされた霊験譚といい、古墳・飛鳥時代の一言主神はもうフンダリケッタリ。。。
古墳時代の葛城鴨族の衰退に続き、渡来の仏教に押され神道が存続の危機にさらされた時代の創話と考えられます。
近畿梅雨明け前日、葛城から大和の景色。
#葛城一言主神社、下の池。#アメンボ pic.twitter.com/PXPQZIPbkB
— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2021年7月16日
アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(全54話完結)
【2020年12月~2021年5月、連載完結】