はじめに
ヤマトの国の #葛城(大鴨)と #三輪(三諸山)は #畝傍山 を通じて #太陽のヤタガラス のラインで繋がっていた話。古くは #畝火山 と呼ばれ #藤原京 が置かれた理由でしょうか。#白山 #ダンノダイラ
目次
本文
展開が目まぐるしく、頭の整理に時間がかかりますので、藤原京のヤタガラスのシリーズはこの回でいったん終わり、しばらく考察したいと思いますが、その前に少しだけ。
そもそも、藤原京でヤタガラスを探したキッカケは、原始三輪山(もとみわやま)シリーズ です。(シリーズは11月中頃から再開予定)
三輪山を南から眺めた三輪山~巻向山~初瀬山の連山の景色が、古くは 三諸山(みもろやま) と呼ばれたらしいと知ってから(榮長増文氏が提唱)
定説では『三輪山=三諸山』と考えられていますが、しかしそうなると、たしかに榮長氏が指摘するように、いくつかの万葉歌の解釈に位置的なズレが生じてしまいます(三輪山を西から見るか南から見るかの違い)
そこで、山麓の桜井市出雲を始め大字と氏神さんをめぐり、山頂付近のダンノダイラや白山(しろやま)を歩く中で、三諸山の高いところからは(現在のように樹林がなければ)畝傍山や葛城の大鴨(葛城山+金剛山)を含むヤマト盆地南部を見晴るかせることに気がつきました。
そして「ダンノダイラの天壇跡」から、特に冬至の日に、ヤマト盆地のどのあたりに日が沈むのかを考えていたタイミングで、
記事を読んでいただいたTさんという方から、ダンノダイラの西約1キロの白山(しろやま)から、畝傍山の方向に冬至の日の入が見えるはず と教えていただきました(今は樹があって見えません)
結論から言うとTさんのおっしゃる通りでした。
しかも白山から見ると、畝傍山の真後ろに、なんと!葛城山麓を歩いて葛城の大鴨(大鳥)と名付けた山稜の景色がピタリとはまるではありませんか。
これぞまさに、生駒の大鳥以来、探していたヤタガラス!(\(^o^)/ヤッタァ)
ワクワクを抑えきれず、耳成(みみなし)~天の香具山あたりを歩くうち、知らず知らず藤原京に足を踏み入れた次第。もう本当にドキドキしましたよ。
ただ、実に目まぐるしい展開で頭の整理が必要。あらためて少しずつ消化しつつ、わかったことを報告して行きたいと思います。
ご連絡
なお、本日からしばらく予約投稿となります。といいますのも、今年も恒例の北海道・東北巡り(仕事がメイン!笑)に出掛けます。
しばらくの間、投稿日時が不規則になったり、皆さまのところに訪問できない日もあるかと思いますが、どうかご容赦ください(10月27日に大阪に戻る予定。本日の夕食は札幌ラーメン)
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この景色がヒントになって、畝傍山の向こう、三輪山の麓の纒向遺跡(まきむくいせき)に行き、東の穴師山(あなしやま)から三諸山に繋がる隠された?「古代の道」の存在に気がつきました。