はじめに
秋分の日の出を見るため #纏向遺跡 に。#穴師山 からの日の出を確認。複数の史跡や伝承から、纏向・穴師山は #土師氏 の祖、相撲の祖 #野見宿祢 が出雲(桜井市)と行き来した古代の道である可能性が高いです。#原始三輪山
目次
本文
先日、纏向遺跡居館跡(辻地区建物群)から見て、春分・秋分の日の出の方角が 穴師山 と紹介しました。
本日の奈良県の日の出は5:46、撮影は6:50で、一時間経過後の太陽の位置。
太陽軌道(黄道)は南の三輪山の方に傾きますので、日の出の位置は穴師山の山頂(写真では左下の二つの△の右側の山)であることは間違いないでしょう。
そこで、穴師山の麓に鎮座する 穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)に参拝し、
三神殿の御神体が 三種の神器(+銅鐸) というレアケースであることを知りました。
野見宿禰(のみのすくね)で繋がる古代の道
穴師山を調べるうちに、①穴師山から巻向山を経由して桜井市出雲に繋がっていること、②三輪山は巻向山などと山系を形づくる連山であること、に気づき、
そして、③その巨視的な観点から 原始三輪山(もとみわやま)を提唱した先人(榮長増文氏)が居られることを知るに至ります。
①については、 土師氏(はじし)と相撲の祖・野見宿禰(のみのすくね)で繋がる古代の道 です。(穴師山のカタヤケシ伝説と相撲神社~桜井市出雲の野見宿禰の塚跡伝承地)
本日は頭の整理を兼ねた記事で、リンクだらけですが備忘録的に書きましたので、ご容赦ください。
野見宿祢(のみのすくね)は、古墳時代の埴輪や土木工事を請け負った土師氏の祖でありますが、弥生時代晩期(第11代垂仁天皇の御世)の人です。
いわば、出雲弥生のものづくりのキーマン と言っても、過言ではありません。
三輪-巻向の連山に『野見宿祢の古代の道』があり、そこにはたくさんの日本古代史の謎が詰まっているハズとワクワクしています。