はじめに
諏訪のマザーストーン #磐座(いわくら)の #小袋石 参拝で拾い集めた「点」は、かつて全国に広がった古代の #海人安曇族 を指し示しているように思います #貴船神社 #葵祭(上賀茂・下鴨)#水の祭祀
目次
本文
磐座 小袋石の御神域
諏訪のマザーストーン、磐座(いわくら)の小袋石の御神域は、今は山道に四つの石祠がぽつぽつと建つ諏訪大社上社の境外飛び地ですが、
かつては、天皇の遣いを迎える勅使殿(帝屋)を有するほど、格式の高い神社だったようです。
水の祭祀
さて、朝廷も関わるこの社では何を祈っていたのでしょうか。
諏訪大社上社でも最古の社殿地と考えられ、ここで行われた祭祀は 諏訪信仰の古層 に繋がるように思います。
現存する磯並四社(元は日月神を含め五社、現在は石祠)については、御神宝を祀る御宝殿(二殿形式)であったと考えられる磯並社の御祭神が 玉依姫(たまよりびめ)と池生神(いけのうのかみ) と伝わるのみ(それも正確かどうかはわかりませんが。)
池生神については初見で、とりあえずググってみました。
長野県で同神名の池生神社が四社(富士見町池之袋が代表的か)、その名の通り、水と農耕にかかわる集落の氏神様として祀られているようです。信州の産土神でしょうか。
「玉依姫と石の船」の既視感
一方、玉依姫は姫神で、ウガヤフキアエズの奥様、つまり初代神武天皇の御母上、トヨタマヒメ(豊玉姫)の妹(龍神姉妹)としてよく知られていますね。
前回記事で 「玉依姫命が御祭神となると、諸説あるでしょうが「(石祠の土台の)舟形」や「草花でかつらをつくり、額にかける風習(案内板に記載)」など、デジャブ(既視感)…」と書きましたが、その既視感とは。。。
京都 貴船神社奥宮(御祭神は高龗神、たかおかみのかみ)。
貴船神社奥宮の社伝には『玉依姫命(神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し…』とあり、
境内には、社伝の黄船(貴船)に由来する大きな 御船形石 も鎮座しています。
また、奥宮(および本宮)の境内には大きなカツラの御神木。
なお、貴船神社と同じく 双葉葵(ふたばあおい) を御神紋とする上賀茂神社・下鴨神社の葵祭(あおいまつり、5月)では、斎王代やその従者一行は、カツラや葵の葉を身に付けて行列するのが伝統です。
諏訪と平安京を繋ぐ海人安曇族の信仰
「小袋石」を御船石(磐舟)、「草花でかつらをつくり額にかける風習」を葵祭の風習と対比させてみると面白いですね。
遠く離れた諏訪と平安京の話ですが、貴船・賀茂の水の祭祀と、諏訪信仰(古層)との繋がりを暗示しているのでしょうか。
さらに検討が必要ですが、玉依姫(龍神)を奉じた 出雲(賀茂)と安曇(あど、あずみ)の古い信仰 が基層にあるように思えます。
玉依姫は安曇(あど、あずみ)族が信奉する姫神で、古代難波の海から遡上する水運は海人安曇族のルートと繋がっており、
一方、諏訪の先(北)には、御船祭が行われる穂高神社が鎮座する安曇野があります。
振り出しに戻って小袋石を遥拝する磯並社の「磯」は、安曇氏の祖神・安曇磯良(あどのいそら、阿曇磯良)を暗示しているのかも知れません。
(小袋石と磯並社の御神域の話はいったん了)