はじめに
諏訪で感じるのは縄文に続く弥生・古墳時代の歴史が薄いこと… #諏訪大社 御祭神が弥生出雲の #タケミナカタ であるにもかかわらず…腑に落ちません。#鹿食免 #鹿食箸 にその空白をひも解く端緒があるような気がします
目次
本文
鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし)の歴史
神長官守矢資料館(長野県茅野市)の奥の展示室に 鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし) の展示(版木)。
諏訪大社ではかつて、狩猟が重要な神事とされ、毎年4度*1、八ヶ岳南麓の斜面地で行われる御狩神事(みかりしんじ、御狩祭とも)で、シカやイノシシが狩られ、贄(にえ)として供されてきました(現代は狩猟はない。一部神事のみ)
先日紹介した御頭祭(おんとうさい)と同様、肉を屠(ほふ)り酒を酌み交わす祭 ですから、各地各層から人が集まり盛大に行われていたそうです。
日本では仏教(聖徳太子の殺生戒)浸透、天武天皇期の「肉食禁止令の詔」、歴代幕府の禁制などにより、中世・近世は殺生や肉食を忌む文化となってゆきますが、そのような歴史の中でも、古来より狩猟神事を行っていた諏訪大社は別格として、狩猟と肉食の風習が温存されました。
そのこん跡が、鹿食免(かじきめん)のお札、鹿食箸(かじきばし)ということになります。
鹿食免・鹿食箸とは
簡単に言えば 鹿食免のお札や箸を持っていれば鹿肉などを食べてよい とする一種の免罪符です。
中世・近世を通して、肉食が100%無かったわけではなく、江戸期には鹿肉は幕府や諸大名への贈答品としてたいそう喜ばれたそうです。
庶民レベルでは、諏訪神社の御師(神仏習合時代の役職)がその収入源として、諸国の村々を訪ね歩き、諏訪明神の縁起とご利益を説き、鹿食免のお札や箸を授与・配布したそうですが、そのようなビジネスが成立するぐらいに需要はあったということですね。
山の猟師たちは 諏訪講 を結んで*2、諏訪明神に次のような祭文を唱えたそうです。
業尽有情(ごうじんのうじょう)(前世の因縁により宿業の尽きた生き物は)
雖放不生(はなつといえどもいきず)(放っておいても死ぬのであるから)
故宿人身(ゆえにじんしんにやどりて)(むしろ人間に食べてもらって=人身に宿って)
同証仏果(おなじくぶっかをしょうせよ)(その縁で極楽往生させてもらうのがよい)
諏訪明神に祈りお札をいただくことで、慈悲と殺生を両立できるから、肉を食べても良い・許されるという考え方です。
実に巧みな論理展開ですね。そもそも一千年以上も前に、こういうロジックを編み出したご先祖様たちに驚きです。
「屠る」と「祝る」
そして私が驚く理由がもうひとつあります。
先に 肉を屠(ほふ)る と書きましたが、屠るは祝る(ほおる、はふる) に由来するという説がありますが、
私が妄想する古代史において、
肉食(屠)と祭祀(祝)、二つの言葉を一つに体現した氏族はただひとつ。
それは 物部氏 です。
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今でも、諏訪大社上社に参拝すれば、鹿食免のお札や鹿食箸を授与いただけますが、畜産業・飲食業、狩猟を仕事として行う人たち(猟師や猟友会)が求めるそうです。