はじめに
奈良県天理市 #黒塚古墳 から用途不明で他に類例がない #U字形鉄製品 #Y字形鉄製品 が出土。魏志倭人伝の伝える #黄幢(こうどう)説が提唱されていますが、私は #笠松形 ではないかと考えています
目次
本文
黒塚古墳 古墳時代前期初頭の築造
黒塚古墳は、日本最古の前方後円墳である箸墓古墳よりも少しだけ遅い、古墳時代前期初頭(3世紀後半=西暦250年代以降)の築造。
ちょうど弥生時代から古墳時代への過渡期に造られた古墳で、前方後円墳の規模や大量の三角縁神獣鏡、鉄刀・鉄鏃(やじり)を含む鉄製品などの副葬品から推理するに、ものづくりや祭祀の立場で、ヤマト創世記の歴史に深くかかわった有力者が埋葬されていたと考えられます。
謎の鉄製副葬品
こちら側が埋蔵者の頭部(北側)になりますが、写真指差しの隅っこに変わった形をした鉄製品が見えます。
展示では見たまんま U字形鉄製品 となっていますが、他の出土例が無く、用途不明の副葬品です。
また、その近くから Y字形鉄製品と名付けられた、これまた他に出土例が無い、用途不明の副葬品。
用途不明だからでしょうか。解説も何もなく展示されていました。
参考に出土状況を報告した資料(黒塚古墳の発掘調査(発掘調査概要/1999年5月/機関誌『日本考古学』第7号)
赤い丸がU字形・Y字形の出土位置。
北向きの埋葬者の頭部付近より上、沿うように置かれていた副葬品のパーツのようですね。
U字形鉄製品のパーツは中空のパイプを組み合わせたもので (掲げる用途の)軽量を重視した ものであったようです。
U字形の出土状況/資料より)北東隅の部分には 大小2本の鉄棒をU字形に曲げた用途不明鉄製品 が立てかけられている。大小2本の間にはV字形をとどめる 鉄板製の管 が付着または崩落しており、この管を用いて鋸歯文状に大小のU字形鉄棒を縛り付けていたようである。この製品の西側に隣接して全長40cm前後の 両端が尖る棒状鉄製品 が崩落して移動したものも含め計8点出土している
Y字形の出土状況/資料より)(石室東側=図面右側の)北に寄った部分には先端が大きく 二股に開く異形鉄製品が2点 ある
謎の鉄製品の正体は?
さて、これらの鉄製品はいったい何だったのでしょうか?
この点について、東潮(あずまうしお*1)氏は、著書『邪馬台国の考古学』の中で、魏志倭人伝に伝えられる「倭の朝貢(二回目、正始四年(243年))*2に対して魏が伝授した 黄幢(こうどう)ではないか?」という仮説を立てています。
黄幢とは、魏国を象徴するカラー 黄色の幢(ばん)つまり、ノボリ・飾り旗のことです。
戦国時代でいえば、旗印(馬印)ですから、朝貢して臣下の礼をとった当時の倭国に対して、魏の王が下賜した意味合いがあると推理されます。
東氏は①U字形鉄製品の棺内での置かれ方、②パイプに布片が付着していた、③中空パイプの鉄製品は当時の倭国では製造が困難であったのではないか、④中国の同時期の遼陽壁画(北薗壁画墓)に描かれている幢と形がよく似ている、の点を挙げ論考しています。
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私の古代妄想はこうです。
東氏と同様、U字形の置かれ方、布片の付着、そして軽量づくりなどから、掲げるなどして権威をあらわす飾り旗…中国の考古学者・王仲殊氏が指摘する通り「旄(ほう)」の類であったと考えます。
王仲殊氏はまた(黒塚古墳以外で出土したものですが)三角縁神獣鏡の記銘文から、渡来した工匠の存在を推理しており、彼らなら中空パイプの鉄製品(おそらく鋳造)を造ることができた可能性があります。
あるいは遅くとも1~2世紀頃には工匠がいた工房のある集落で鉄器づくりをしていた日本に、中空パイプの製造が可能だったかも知れません。
何よりも、同じ石室から出土した三角縁神獣鏡(33枚)のデザインに 日本オリジナルの笠松形 が高頻度(うち32枚)で描かれている状況があり、U字形・Y字形・棒状の鉄製品をセットとして、飾り旗の類としての、笠松形から考えてもよいのではないかと考えています。