和歌山市加太の淡嶋神社は、人形供養と境内にズラリと並べられた人形が有名だが、
実は、古代の謎を解くカギが数々残されていると考えている。
古代妄想(私)の一番の興味は、御祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)
淡嶋神社ご由緒(少彦名命の部分。文字起こし)
神代の昔、少彦名命は大己貴命と共に御力を合せて此日本の国を造り堅め、農事を教へ、温泉を開き、酒を醸(つく)り、裁縫の術を授け、病を治むる方等、大きな御神徳を垂れ給うた。それで淡嶋様を医薬の祖神、酒造の祖神と崇め奉る。
・・・当御祭神は医薬の祖神であられますから、諸病を癒し給う事著しく、殊(こと)に婦人の病気平癒、安産、子授け等の祈願が最も多い。又、交通、航海安全の守護神として知られている。
ご由緒から「少彦名命=淡嶋様=淡嶋明神」であることが確認できた。よって住吉神の第六妃云々の大阪分社(光傳寺内、淡嶋明神社)のご由緒は後世、江戸期・淡嶋願人の創話(あるいはスクナビコナとは別の史実に基づく伝承)であると考えた。ちなみに「明神」は神仏習合の言葉。
少彦名命の御神像と使いのヒキガエル
境内の少彦名命にかかわる境内社は、姿社(すがたしゃ)と遷使殿(せんしでん)。
姿社には少彦名命の御神像が置かれ、遷使殿には少彦名命のお使いの蛙たちが並べられている。
以下。古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE
出雲の神・スクナヒコナ 考(前半)(★~★★)
淡嶋神社のご由緒に、どのような信仰の神様であるか、ほぼ挙げられている。
農業、温泉、酒造、裁縫、そして医薬(和方。漢方ではない)。
少彦名命の御姿は『大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗り、鵝(ヒムシ=ガとされる)の皮の着物を着て波の彼方より来訪し、神産巣日神の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加した(Wikiより)』という古事記の記述に基づいていると考えられる。
小さな舟に乗った小さな人として出雲の国に現れたイメージは、後世、一寸法師のおとぎ話と結びついた(住吉大社の北、奥の天神と称される生根神社の御祭神は少彦名命)
★★私は、出雲の王・大名持(オオナモチ=大己貴)に対して、少彦(スクナヒコ)、つまり『大と小』の関係に基づく副王的な呼称と考えていて、そういう意味で、なぜもうひとつ『名(ナ)』が付いているのか、謎だと思っている。ひとつの説として、男王に対する女王(姫御子、ヒメミコ、女)かも知れないと疑っているが、今のところ証拠はない。
なぜ疑うかというと、農業・温泉は何ともいえないが、他の御神徳(酒造、裁縫、医薬)は、古代イズモの国では、主に姫御子の仕事であったと考えられ、また、例えば淡嶋信仰が『女性の守護』だからだ。
★★医薬の祖については、酒造とワンセットと考えている。古代酒造については、古代鉄並みに、長くなるのであらためて書いてゆこうと思うが、弥生期以降の稲作酒造は(精密な言い方ではないが)二段階醸造。米をデンプン糖に分解し、糖を発酵してアルコールを生成する。この繊細で高度な技術は、縄文酒造(糖アルコール発酵の一段階)をベースに出雲で開発されたと考えられる。それに、副作用(二日酔い)がある点でも酒と薬は切っても切れない。笑
ちなみに少彦名命が出雲に登場する時に乗っていたガガイモは生薬の材料でもある。
医薬に関連して、先日シリーズで紹介した緒方洪庵先生の適塾の近く(徒歩10分)、大阪の薬の街、道修町(どしょうまち)の氏神さん、少彦名神社は通称・神農(じんのう)さんと呼ばれる。
中国漢方の祖・神農と和方の祖・少彦名命をダブらせたイメージ。創建は江戸期、安永9年(1780)で新しい神社。
時節がら(コロナ)緒方洪庵先生を書いた次のタイミングで、季節がら雛祭りを書こうと淡嶋神社を取り上げたのはたまたま。
そんなご縁も感じるので、スクナヒコナ考は古代妄想全開で続きます。笑