1796年、イギリスのエドワード・ジェンナーは、牛痘(ぎゅうとう)に一度感染した乳しぼりの女性たちが、天然痘にかからない、かかっても軽症で治癒するという言い伝えから、牛痘ウイルス株(かさぶた)を皮膚に接種する安全性の高い牛痘接種法(いわゆる低毒性ワクチンによる天然痘予防法)を発見し、1798年に確立した。
*牛痘は天然痘ウイルスに近い仲間だが、ヒトに対する病毒性が低い。牛痘のカサブタを使って人工的に軽くかからせることで、恐ろしい天然痘に対する免疫を獲得させる
日本での牛痘接種は、1849年(嘉永二年)に、オランダの商館医・モーニッケと佐賀藩医・楢林宗建が、宗建の子への接種が成功したのが最初で、その子どもから採取した株(痘苗、とうびょう)が、蘭方医らにより、さらに次の子らへ接種・植え継がれ、佐賀、京都、大坂、江戸と普及して行った。
洪庵さんは佐賀から京都に送られた痘苗を分けてもらうよう、いち早く手配し、あわせて、適塾の近く(古手町)に「大坂除痘館」を開いた。
大坂除痘館は、後に適塾の南隣に移転し、その跡地に建っている緒方ビル(緒方洪庵記念財団、今橋3丁目2-17)玄関には銅板が掲示され、碑が建てられている。
4階には「除痘館記念資料室」があり、関係する資料が展示されている(無料、平日のみ、午前10時~午後4時、撮影は禁止)
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除痘館の創設では「種痘を通じて、痘苗を確実に増やし、各地にすみやかに分苗する」体制づくりにすべての利益を還元することを誓い、
最終的には、近畿一円(142)、中国(22)、四国(9)、九州(5)、関東・中部(江戸1を含む8)の186ケ所に 分苗するという実績を残した。
ただ『種痘をしても益がないどころか子どもに害になる』という噂が広がるなど、一時、普及が進まず、痘苗の確保に苦労した時期もあるそうだ。
ジェンナーのイギリスでも『種痘で牛人間になる』という迷信が広がるなど、このような問題は世界共通だ。
迷信には視覚で信仰心に訴える。牛痘児が天然痘(疱瘡神)を槍で退治するチラシ。
こうした動きに事業から遠のく人がいる一方で、私費を投じてでも普及に努める人たちも増え、人々の信頼が回復するとともに全国に普及していった。
やがて、種痘事業の努力は幕府に認められ、1858年(安政5年)に、大坂除痘館が全国で初めて公認の種痘施設となり、接種した子供たちには『済証』が配布されるようになった。
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緒方ビル1階のロビーには手塚治虫さんの『陽だまりの樹』のワンシーンが掲示されている。
手塚さんの曾祖父の手塚良庵(後、良仙)は、適塾の洪庵先生のもとで学んだ後、江戸で種痘所の設立に尽力した蘭方医で、そのことを『陽だまりの樹』に描いている。
天然痘(資料室パネルより)
経気道感染で、約12日間の潜伏期ののち40度を超える高熱が2~3日続き、熱が下がるとともに丘疹水疱(きゅうしんすいほう)が全身にあらわれ、10日ごろより水疱が膿疱化する。この膿疱期に20~30%が死亡する(展示室パネルより)
感染症の中で、天然痘との戦いは人類の完勝。日本では1955年に根絶、世界では、WHOが1980年5月に、地球上からの天然痘根絶宣言を発するに至った(Wikiより)