摂津河内(大阪)と大和(奈良)を結ぶ古代のウォーターフロント・ものづくりの中心地であった #古代河内湖 の南岸。大阪市内からほど近い #布施(ふせ)の #布施戎神社 を参拝 #足代 # 網代笠 #菅笠
目次
本文
布施戎神社
(34.6621982, 135.5613897)/大阪府東大阪市足代1丁目15−21/近鉄大阪線・布施駅から徒歩5分
大阪市と東大阪市が接する近鉄布施駅一帯は、古代には河内湖のウォーターフロントで、摂津・河内(大阪)と大和(奈良)を結ぶ交通路の主要地でした。
(布施は記事中地図の黄色線の北側の「点線」のライン上にあります)
駅から神社までのあちこちに「えべっさんの街 布施」の看板。
街に根付いた「布施のえべっさん」ですが、神社としては新しく、昭和29年(1954)、西宮神社(兵庫県西宮市、全国のえびす神社の総本社)から戎大神(ひるこ(蛭子)の神) を勧請(かんじょう、お招き)したのが始まりです。
昭和63年(1988)には大阪今宮戎神社から事代主命も勧請。
毎年1月9日~11日の十日戎(とうかえびす)には、選りすぐりの福娘を主役に、地元商店街も一体となり「商売繁盛」を祈願して賑やかに祭が行われます。
布施戎神社 境内
盛大に伝えられる祭りの様子から考えると小さな境内…に釣り合わないほどの大きな戎様の銅像。
釣り竿を除いても、頭まで高さ三メートル近くはありますね。
神社によると「日本最大」だそうです。
釣られた大鯛の眼がグルグル回っているのに笑ってしまいました!
朝早くて、御本殿にシャッター😅
886年創建の都留彌神社の元宮の地
先ほど創建は戦後であることを紹介しましたが、
ここはかつての一帯の氏神であった都留彌神社(つるみじんじゃ、式内社、御祭神:速秋津日子神・ 速秋津比売神)が鎮座していた元宮の地であります。
現在、都留彌神社は当社からほぼ真西に1キロの地に鎮座しています(次回あらためて紹介)
足代(あじろ)の地名の由来
布施戎神社が鎮座する「足代」は「あじろ」と読みます。
近世に「網代笠」と云われた「菅笠、すげがさ」に関連する由緒のある地名と考えられます。
近鉄布施駅から北に、商店街を五百メートルほど歩くと「深江」の街に繋がっています。
深江は、以前紹介した、中世以前から「菅笠」の産地でした。
また深江は古くからの鋳物師の街であり、古代ウォーターフロントにおける「ものづくり」の中心地で、
個人的には倭邑笠縫(やまと・かさぬい)が、河内に移住した地であると考えており、一帯の「布施」の地名は、彼ら(笠縫)に因んだものと妄想しています。
この点について、またあらためて妄想したいと思います。