大阪城公園南西入口そば #生國魂神社 元宮跡(お旅所跡)。ここから大阪城外堀の向こうに #生駒の大鳥 を眺めることができます。弥生の人々は日本最古級の祭祀場から、#クニウミ #子孫繁栄 を祈ったと考えています #アラハバキ
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大阪最古の祭祀場 生國魂神社 元宮(お旅所跡)
一年前、生國魂神社(いくたまじんじゃ)のお旅所跡を紹介しました。
(34.6839934, 135.5222579/大阪市中央区大阪城3)
【前回記事】
生國魂神社は、弥生時代(紀元前後〜西暦二百年)に創建された大阪最古、日本最古級の神社*1であったと考えられます。
創建地は、現在の大阪城(かつての石山)一帯で、古い時代の祭祀場があったと考えられます。
元宮跡から大阪歴史博物館(左。右は某公共放送大阪支局の立派な建物)
博物館の建物の先っちょは、大阪城天守閣を向いています。
イザナギ・イザナミ以前の、おそらくそのモデルとなった男女一体のクニウミの神様で、
この二神を祀る社は、生國魂神社と、長野県上田市の生島足島神社の他に存在しません。
いずれも出雲文化の隆盛期、弥生時代の原初的な二神で、後に、イザナギ・イザナミに書き換えられたと推理しています。
話は少しそれますが、こういった書き換えの流れのひとつに、日本書紀や古事記もあるように思います。
クニウミの景色に祈る
では(原初) 生國魂神社は、この地で何を祈っていたのでしょうか。
これを考える時に大切なのは、弥生時代・大阪の地形図です。
現在の大阪城エリアは、現在の大阪市内を南北に縦貫する上町台地、その以前の上町半島の先端部で、
現在の大阪市内東部〜生駒山麓に至る東大阪エリアは、古代河内湖 という広大な水域(浅海〜潟〜湿地帯)でした。
当時は全地球的な寒冷化で海岸線が後退する現象期、 日本では 弥生の海退期 にあたり、
日本列島沿岸各地で海が後退する一方、浅海〜潟〜湿地帯になったところに河川の土砂が堆積(扇状地化)して、
日々、シマが生まれ、シマが繋がり大きな土地に変わってゆく クニウミの景色(八十島、やそしま) を見ることができました(大阪だけではありません。現在の列島全沿岸都市部の誕生)
土地が広がるとともに稲作地が広がりクニが生まれ子孫が繁栄する…出雲弥生はそんな時代。
こういうところから出雲のクニビキ神話も生まれて来たのでしょう。
弥生の人々は「クニウミ」であれ「子孫繁栄」であれ、共通して、男女神の和合と出産の概念をあてはめ、信仰し祈った…
その主要な現場のひとつが、ここ生國魂元宮の祭祀場であったと考えられます。
【生駒の大鳥】クニウミ・子孫繁栄の母体
(当ブログでは何度も同じ景色を紹介していますが😀)
生國魂元宮の祭祀場からは、朝の日の出に輝く古代河内湖の向こう側に、生駒の大鳥 を仰ぎ見たはず(生駒山系の向こう側は奈良県奈良市)
大鳥の頭部は天照山で、春分・秋分の頃には、天照山から朝の日がのぼり、その上空を通過します。
稲作の弥生時代は、太陽方位から節気を知り田畑を管理する「東西意識が中心」の時代で、
生國魂元宮の祭祀場では、生駒の大鳥をカレンダーの基準として季節を測ったものと推察されます。
三輪山信仰(狭井川、幸の川)にも見られるように、太陽と山の接点から流れ出る水 は、男女の和合と出産という アラハバキ的な信仰 の原形と考えられ、
共通して、生駒の大鳥は(河内という新しい広大な)クニを生む母体のイメージと重ね合わされて信仰され祈られたと推理しています。
なお、いくたま祭(陸渡御)では、現在の鎮座地・天王寺区から元宮(お旅所跡)まで、御祭神の神霊を載せた御鳳輦(ごほうれん)が、サルタヒコ神を先導役にして巡行します。