ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【義士の寺】アナザーストーリー 赤穂四十七士【吉祥寺】

はじめに

大阪市天王寺区 #義士の寺 で知られる #吉祥寺。白黒のダンダラ模様の塀に満開の桜が映えます。当寺には #赤穂四十七士 の唯一人の生き残り #寺坂吉右衛門 の話 #直木三十五

目次

本文

義士の寺 吉祥寺(大阪市天王寺区六万体町)

(34.6603320, 135.5149419)/大阪市天王寺区六万体町1−20/大阪メトロ・谷町線 四天王寺前夕陽ケ丘駅から徒歩二分

義士の寺 吉祥寺

二年前、津軽の高山稲荷神社の、赤穂藩士の 寺坂三五郎 が建立したとされる三五郎稲荷に関連して紹介したことがある、義士の寺・吉祥寺。

www.zero-position.com

義士の寺 吉祥寺

吉祥寺は、播州赤穂・浅野家の大坂の菩提寺で、

寺坂吉右衛門(信行) が四十七士の遺髪、遺爪、鎖かたびらに銀十両を添えて建碑を依頼した」ことから、現在でも義士の寺と呼ばれています。

寺坂吉右衛門は、江戸の吉良邸に討ち入った四十七士の唯一人の生き残りとされる人物。

生き残った、つまり、幕府から切腹を命じられなかったのは、

足軽身分であるにも関わらず、討ち入りに参加した寺坂に、大石内蔵助が赤穂への知らせに走らせたため現場にいなかった説、寺坂自身が直前に逃亡した説、などがあります。

真相は闇の中ですが、津軽ではキツネのことを三五郎と云うらしく寺坂吉右衛門が、遠く離れた津軽でキツネに化けて、赤穂義士を弔ったのかと、いう妄想話でした。

四十七士の石像と大石親子の名が刻まれた供養塔

境内には四十七士にまつわる石像や供養塔などが建てられています。

四十七士の石像 吉祥寺

大石親子の名が刻まれた供養塔

大石内蔵助

吉祥寺

前回、吉祥寺の近くの 家隆塚 で紹介した中学時代の 直木三十五 は、作家になってから「寺坂吉右衛門の逃亡」という作品を残しています。

www.zero-position.com

おそらく、地元の吉祥寺を通して寺坂吉右衛門のことを知っていて、その生き残りの真相を直木なりの推理で書いたと思われます。

(約三十分の朗読ですが、興味のある方はどうぞ)


www.youtube.com

三十五というのは、毎年数字を変えて付けたペンネームで、ある年から三十五のままになったそう。

洒落っ気の多い直木は、キツネの名がお気に入りになったのかも知れませんね。

PVアクセスランキング にほんブログ村