かつて #住吉大社 神主家であった #津守氏 の居館があったところの #正印殿跡。#南北朝時代 には #南朝 #後村上天皇 の仮御所(#住吉行宮)が設けられました
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住吉行宮跡(正印殿跡)
(34.6088977, 135.4938765)/大阪市住吉区墨江2丁目7/住吉大社・東南の鳥居から徒歩5分。阪堺電車阪堺線(チンチン電車)細井川駅から南東へ徒歩5分。住宅地の中で駐車場はありません
住吉大社の東南の鳥居から南の長居公園通を渡り、一筋入った住宅地の中に住吉行宮跡(正印殿跡)。
住吉大社の歴代神主・津守(つもり)氏の居館があったところで、平安時代、中興の祖と云われる津守国基(くにもと、1026~1102年)の時代に、ここに大社の「正印」を収めた正印殿が創建されたと伝えられます。
現在は住宅地の一角ですが、一帯は津守氏の拠点地で、慈恩寺(現存せず)という菩提寺を含め広大な敷地であったと考えられます。
約四年前、大海神社(住吉大社内)のお参り中にお逢いしたご老人にいただいた 摂州住吉宮地全図(1827年、江戸末期)にも「神主館・正印殿」として描かれています。
住吉行宮(すみよしあんぐう)
行宮(あんぐう)とは、天皇が仮の御所とした場所をいいますが、
南北朝の時代(1352)、ここは「南朝が置かれた吉野と西国の官軍との連絡の重要地点(住吉大社編「住吉大社」)で、
先の津守国基が南朝の後村上天皇を正印殿に迎え、仮御所としたことから 住吉行宮 と云われるようになりました。
後村上天皇が崩御(1368)した直後、長慶天皇(第98代、南朝第3代)が即位したのもここ。
津守邸については、織田信長公が宿泊した記録があるほか、
大坂冬の陣(1614、慶長の役)の際、ここに徳川家康公の本陣が置かれるなど、戦国の歴史の舞台ともなりました。
住吉大社では、後村上天皇の命日の旧暦3月11日(現在暦の4月6日)に「正印殿祭」を斎行しています。
境内のいくつかの社殿・祠については次回。
たいへん興味深いものを発見しました。