ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

【鴨の羽交(はがひ)】古代の人々は山の景観に大鳥の姿を見、信仰し、時に詠む【大和二上山の景色】

大和川の河川敷を #二上山 を眺めながらテクテク。大和と河内・摂津を往来する人たちの道標であるとともに、縄文時代からの信仰の山。数々の#万葉集 にも詠われました #志貴皇子 #鴨の羽交

目次

本文

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大和川の河川敷を東へテクテク

中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)を参拝後、少し南に下って新大和川

ここから柏原市安堂(奈良県境付近)まで、約10キロの河川敷をほぼ直進、ひたすら歩きます。

お日様の上る東へテクテク

上古からの信仰の山

このあたりから、大阪と奈良の県境にそびえる二上山(にじょうざん)がくっきり見え始めます。

大和川河川敷から二上山の眺め

大阪府側から見る二上山は雄岳が左、雌岳が右で、奈良県側からの景色とは真逆で新鮮です。

大和國と河内・摂津(難波宮)を往来する人たちの道標であるとともに、

奈良の盆地平野のいたるところから眺めることができ、古くから信仰の山として崇敬されてきました。

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二上山は死火山としての多様な地質的特性から、サヌカイト(石器の材料)や凝灰岩(石室や石棺の材料)等の産出地として、

縄文時代から利用されてきました。

二上山のサヌカイトは渥美半島の縄文集落でも利用されていた

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志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交」

天智天皇(第38代)の皇子 志貴皇子(しきのみこ)は、壬申の乱(672年)後、

敗者側で生き残った皇子として激動の歴史を生き抜いた人ですが、

万葉集に残されたうちの一首(全六首が残されています)

葦辺ゆく 鴨の羽交(はがひ)に霜降りて 寒き夕へは 大和し思ほゆ

(巻1-64、慶雲三年(707年)丙午、難波宮にいでます時、志貴皇子の作らす歌)

慶雲三年ですから、志貴皇子が当時の都・藤原京から難波宮にむかうときに詠われた歌ですね。

・・・さて歌で詠まれる 鴨の羽交(はがひ)

羽交とは、両の羽根が合わさるところですから、一般的には「水辺の鴨の羽に霜が降るほどに寒い夕暮れ」と解釈されますが。

羽根に霜が降るほどに(凍えながら)鴨はじっとしているのでしょうか。

例えば、大和と河内の国境、当時、湿地帯の芦辺であっただろうこの辺りから振り返り、二上山の景色を鴨に見立てて、故郷を詠んだ…。

雄岳と雌岳の間の稜線に白く雪が積もる遠景に『霜降りて』と詠んだという解釈ですね。

大鳥の羽易(はがひ)の山/柿本人麻呂

以前、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)公の 大鳥の羽易(はがひ)の山 を紹介しましたが、

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歌聖はもちろん、古代の人々は山の景観に鳥の姿を見、信仰し、時に詠みました。

橘寺(明日香村)近くの柿本人麻呂の歌碑より三輪山の眺め

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景観の考古学。

葛城の大鳥の山麓、向こう側は奈良県御所市。

出雲からやって来た「鴨族」発祥の地であります。

いろいろな可能性を考えながら、様々に古代妄想しながら歩くのも楽しいものです。

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